フィリピン・マニラから南に約90キロ離れたパグサンハンに太平洋戦争下のフィリピンで命を落とした台湾人日本兵の慰霊碑がある。慰霊碑を維持・管理する団体が解散されたこともあって荒廃化が進み、その存在自体が忘れられつつある。
フィリピンでの戦争では、李登輝(りとうき)元総統の兄、李登欽(りとうきん)氏など多くの台湾人日本兵が亡くなった。彼らを追悼しその歴史を記録するため、1987年、在フィリピン台湾企業関係者らでつくる「比台和平基金会」がパグサンハン郊外に2740平方メートルの土地を購入し、そこに「台湾同胞被災者安霊慰魂碑」を建てた。
当時基金会で主任委員を務めた廖明炤さんによると、李登欽氏や廖さんの伯父を含む戦没者1万人余りの名簿が作られたほか、戦没者を祭るほこらや小さな公園の建設も計画されたものの実現しなかった。また基金会役員引き継ぎ時のどさくさで名簿や慰霊碑が立つ土地の権利書が紛失したり、土地の税金や管理費の支払いが遅れたりすることから一帯の荒廃が進んでいる。
基金会がすでに解散されており、戦没者を悼む法要なども行われなくなった。今では敷地の入り口が閉鎖され、文字の色があせた慰霊碑は寂しく見える。廖さんは現状を嘆きながらも、「いつかほこらや公園が計画通りに完成し、慰霊碑を訪れる人々に戦争の教訓を引き継いでほしい」と期待を寄せた。
フィリピンの戦いに詳しい歴史学者のアンソニー・フェレドさんの話によれば、1941年12月のフィリピン攻略に参加した日本軍の第48師団には、7000~7600人もの台湾人日本兵がいた。44年11月と同12月にフィリピン中部のレイテ島であった空挺部隊の戦闘では日本側の主力が台湾原住民(先住民)からなる「高砂義勇隊」だったという。