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シベリア抑留の台湾人元日本兵描く記録映画、日本で公開 監督「非常に感動的」

2026/09/07 14:19
東京都内の映画館で舞台あいさつする「零下五十度の抑留者」の許明淳監督(右)とシベリア抑留を経験した台湾人で唯一の存命者とされる呉正男さん(左)=2026年9月5日、中央社記者戴雅真撮影
東京都内の映画館で舞台あいさつする「零下五十度の抑留者」の許明淳監督(右)とシベリア抑留を経験した台湾人で唯一の存命者とされる呉正男さん(左)=2026年9月5日、中央社記者戴雅真撮影

(東京中央社)第2次世界大戦後のシベリアに抑留された台湾人元日本兵を題材にしたドキュメンタリー作品「零下五十度の抑留者」(原題:氷封的記憶)が5日、日本で公開された。許明淳(コー・ビンスン)監督は同日、東京都内の映画館で舞台あいさつに臨み、映画を日本で公開できたことは「非常に感動的だ」と語った。

第2次世界大戦では、当時日本領だった台湾から約20万人が従軍した。そのうちシベリア抑留を経験した人は少なくとも19人いたことが判明しているが、正確な人数は分かっていない。

許監督は、史料を読み込んだ他、台湾、日本、ロシアで取材した。シベリア抑留を経験した台湾人で唯一の存命者とされる、現在99歳の呉正男さんへのインタビューも行い、3年を費やして作品を完成させた。

許監督は、父親が1927年生まれで呉さんと同世代だったものの、早くに亡くなったため、父親の人生についてよく知らなかったと語った。国民党軍の軍服を着た若い頃の父親の写真を見つけたことをきっかけに、台湾人の歴史の記憶が非常に複雑であることをより強く認識したとし、自身の世代には台湾の歴史のさまざまな側面を同世代や次の世代に伝える責任があると考えたと話した。

抑留経験後、日本での生活を選んだ呉さんも舞台あいさつに登場。自身について「幸運」という言葉で形容し、抑留期間が一般的な3年より短い2年だったことや、抑留されたのは最低気温が零下25度の中央アジアで、零下50度まで下回る極寒地域ではなかったためだと語った。さらに、人生で最大の幸福は戦場から生きて帰ってこられたことだとも話した。

その上で、社会には少数の生存者の物語よりも、犠牲になった人々のことを覚えていてほしいと言及。戦争に巻き込まれた台湾人約20万人のうち約3万人が亡くなり、これらの人々にもそれぞれの人生と記憶があったが、多くは次の世代に伝えられなかったと語った。

(戴雅真/編集:田中宏樹)

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