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【写真特集】台湾、初の総統直接選挙から30年 中国の軍事圧力の下、歩み進めた民主化の道

初の直接選挙で選出された総統・副総統となった李登輝氏と連戦氏の就任式は1996年5月20日、桃園県立体育館(当時)で開催された。李氏は第9代中華民国総統に就任し、両手を高く掲げてあいさつした(1996年5月20日)
初の直接選挙で選出された総統・副総統となった李登輝氏と連戦氏の就任式は1996年5月20日、桃園県立体育館(当時)で開催された。李氏は第9代中華民国総統に就任し、両手を高く掲げてあいさつした(1996年5月20日)

台湾は23日、中華民国史上初となる総統直接選挙の実施から30周年を迎えた。1996年に初めて実施されたこの選挙は、台湾の政治体制において国家の最高指導者を選ぶ選挙が、間接選挙から国民による直接選挙へと移行したことを示し、アジアの民主主義政治における成功例ともされる。

総統選には、当時総統だった李登輝(りとうき)氏を含め4人が出馬。各候補が激しい選挙戦を繰り広げる一方で、両岸(台湾と中国)関係の緊張は高まった。中国人民解放軍は96年3月8日、南部・高雄沖や北部・基隆沖にミサイルを発射し、米軍は空母機動部隊を台湾周辺海域に派遣。一連の緊張は「第3次台湾海峡危機」として知られる。

だが投票日当日、有権者1076万人が投票所に足を運び、76.04%という高い投票率を記録。「主権は国民の手にある」という民主主義の理念を実践した歴史的な節目となった。開票の末、李登輝氏が581万3699票を獲得し、第9代中華民国総統に当選した。

中国による軍事圧力にさらされる中、台湾が総統直接選挙を平和に終えたことは国際社会から注目を集めた。以降、台湾では2026年まで8回の総統選挙が実施され、3度の政権交代が起きた。台湾は民主主義の道を着実に歩み続け、現在では20歳を超えた国民が自らの一票でリーダーを選ぶことは、台湾政治における日常として定着している。

(編集:楊千慧、写真は全て中央社資料写真)

台湾の野党、総統選の候補を初めて擁立

1996年、中華民国史上初となる総統直接選挙が台湾で実施された。当時、結党から10年に満たない野党の民進党は、党内の民主的手続きによって候補者を選出することとした。出馬の意向を示していた(左から)尤清氏、林義雄氏、許信良氏、彭明敏氏の4人は、1995年6月3日に党内予備選挙の討論会を開催。政策を発表し、メディアからの質問に回答した(1995年6月11日)
1996年、中華民国史上初となる総統直接選挙が台湾で実施された。当時、結党から10年に満たない野党の民進党は、党内の民主的手続きによって候補者を選出することとした。出馬の意向を示していた(左から)尤清氏、林義雄氏、許信良氏、彭明敏氏の4人は、1995年6月3日に党内予備選挙の討論会を開催。政策を発表し、メディアからの質問に回答した(1995年6月11日)

李登輝氏、党内予備選で一票を投じる

国民党の総統選の公認候補を決める予備選の投票は1995年8月31日に行われ、党主席(党首)の李登輝氏(右)は台北市内に設けられた投票所に赴き、投票を終えて退出した(1995年8月31日)
国民党の総統選の公認候補を決める予備選の投票は1995年8月31日に行われ、党主席(党首)の李登輝氏(右)は台北市内に設けられた投票所に赴き、投票を終えて退出した(1995年8月31日)

李登輝氏、国民党の公認候補に

当時の総統であり国民党主席(党首)でもあった李登輝氏は、1995年8月31日に行われた国民党の党内予備選挙で、圧倒的多数で公認候補の座を勝ち取った。写真は、開票ボードを確認する国民党中央委員会の許水德秘書長(右から2人目)と、予備選の包徳明主任監察員(右)(1995年8月31日)
当時の総統であり国民党主席(党首)でもあった李登輝氏は、1995年8月31日に行われた国民党の党内予備選挙で、圧倒的多数で公認候補の座を勝ち取った。写真は、開票ボードを確認する国民党中央委員会の許水德秘書長(右から2人目)と、予備選の包徳明主任監察員(右)(1995年8月31日)

林洋港氏が国民党を離党して出馬へ

国民党の李登輝氏が総統続投を目指す一方、台北市長や台湾省長、内政部長(内相)、司法院長などの要職を歴任した林洋港氏は、市民の署名によって総統選挙への出馬資格を得た。そのため1995年末、国民党から除名処分を受けた。写真は、高雄市内の公園前で署名活動を行う林氏の後援会(1995年11月30日)
国民党の李登輝氏が総統続投を目指す一方、台北市長や台湾省長、内政部長(内相)、司法院長などの要職を歴任した林洋港氏は、市民の署名によって総統選挙への出馬資格を得た。そのため1995年末、国民党から除名処分を受けた。写真は、高雄市内の公園前で署名活動を行う林氏の後援会(1995年11月30日)

党内対立深める国民党

「正統派」を自称する国民党員らは、中央委員会の外に集結し、中華民国国旗や党旗を掲げ、林洋港氏らの総統選出馬を支持した(1995年11月29日)
「正統派」を自称する国民党員らは、中央委員会の外に集結し、中華民国国旗や党旗を掲げ、林洋港氏らの総統選出馬を支持した(1995年11月29日)

李登輝氏と連戦氏、立候補を届け出

当時の総統で国民党主席(党首)だった李登輝氏(右から2人目)と、行政院長(首相)だった連戦氏(左から2人目)は1996年1月30日、それぞれの妻と共に、中央選挙委員会で総統・副総統選への立候補を正式に届け出た(1996年1月30日)
当時の総統で国民党主席(党首)だった李登輝氏(右から2人目)と、行政院長(首相)だった連戦氏(左から2人目)は1996年1月30日、それぞれの妻と共に、中央選挙委員会で総統・副総統選への立候補を正式に届け出た(1996年1月30日)

野党・民進党の候補が立候補を届け出

民進党の総統・副総統候補である彭明敏氏(左4)と謝長廷氏(左3)は1996年2月3日、中央選挙委員会で立候補の届け出を行った(1996年2月3日)
民進党の総統・副総統候補である彭明敏氏(左4)と謝長廷氏(左3)は1996年2月3日、中央選挙委員会で立候補の届け出を行った(1996年2月3日)

無所属の林・郝ペア、CDで支持呼びかけ

無所属で総統、副総統に立候補した林洋港氏と郝柏村氏は、旧正月前の1996年2月9日、選挙用の歌曲を集めたアルバム「朋友!您好(友よ、こんにちは)」をCDで発表し、支持を呼びかけた。中国語と台湾語の歌曲10曲に加え、両候補者のメッセージが収録された(1996年2月9日)
無所属で総統、副総統に立候補した林洋港氏と郝柏村氏は、旧正月前の1996年2月9日、選挙用の歌曲を集めたアルバム「朋友!您好(友よ、こんにちは)」をCDで発表し、支持を呼びかけた。中国語と台湾語の歌曲10曲に加え、両候補者のメッセージが収録された(1996年2月9日)

総統選の立候補者による討論会

中国時報グループは1996年2月10日、初の総統選候補者討論会を開催。(左から)無所属候補の陳履安氏、新党の支持を受けた林洋港氏、民進党の候補者である彭明敏氏が出席したが、当時の総統であり国民党の公認候補だった李登輝氏は出席しなかった(1996年2月10日)
中国時報グループは1996年2月10日、初の総統選候補者討論会を開催。(左から)無所属候補の陳履安氏、新党の支持を受けた林洋港氏、民進党の候補者である彭明敏氏が出席したが、当時の総統であり国民党の公認候補だった李登輝氏は出席しなかった(1996年2月10日)

史上初の総統選立候補者によるテレビ政見発表会

中華民国史上初の総統選の立候補者によるテレビ政見発表会は、1996年2月25日に生中継された。写真は台北市内の家電量販店。政見を発表する国民党の公認候補、李登輝氏がテレビ画面に並んだ(1996年2月25日)
中華民国史上初の総統選の立候補者によるテレビ政見発表会は、1996年2月25日に生中継された。写真は台北市内の家電量販店。政見を発表する国民党の公認候補、李登輝氏がテレビ画面に並んだ(1996年2月25日)

李・連ペア、選挙対策本部を設立

1996年2月27日、国民党の総統・副総統候補である李登輝氏と連戦氏の選挙対策本部が台北市で設立された。会場には3万人以上の支持者が駆けつけ、多数の中華民国国旗と国民党の党旗がはためいた(1996年2月27日)
1996年2月27日、国民党の総統・副総統候補である李登輝氏と連戦氏の選挙対策本部が台北市で設立された。会場には3万人以上の支持者が駆けつけ、多数の中華民国国旗と国民党の党旗がはためいた(1996年2月27日)

馬祖の人々、投票のためにフェリーで帰郷

中華民国史上初となる総統直接選挙に一票を投じようと、投票2日前、離島・馬祖出身者約100人がフェリーで帰郷した。それまで「馬祖の住民は中国共産党のミサイル攻撃に備え、避難すべきだ」といううわさが広まっていたが、これを一蹴した(1996年3月21日)
中華民国史上初となる総統直接選挙に一票を投じようと、投票2日前、離島・馬祖出身者約100人がフェリーで帰郷した。それまで「馬祖の住民は中国共産党のミサイル攻撃に備え、避難すべきだ」といううわさが広まっていたが、これを一蹴した(1996年3月21日)

李登輝氏、選挙直前に南部・高雄で支持呼びかけ

国民党から総統選に立候補した李登輝氏(車上中央)は、投票日数日前、南部・高雄県(当時)を訪れ、各地を回り支持を呼びかけた。選挙カーに乗り、右手で自身の番号「2番」を示すジェスチャーを掲げた(1996年3月18日)
国民党から総統選に立候補した李登輝氏(車上中央)は、投票日数日前、南部・高雄県(当時)を訪れ、各地を回り支持を呼びかけた。選挙カーに乗り、右手で自身の番号「2番」を示すジェスチャーを掲げた(1996年3月18日)

中央開票センターが開設

中央開票センターが台北市立体育専科学校(当時)の体育館に設置された(1996年3月22日)
中央開票センターが台北市立体育専科学校(当時)の体育館に設置された(1996年3月22日)

台北市では第4原発建設を巡る住民投票が同日実施

1996年3月23日には初の総統・副総統直接選挙が行われたのに加え、民進党が市政を担っていた台北市において、第4原子力発電所の建設の是非を問う「住民投票」も同日実施された(1996年3月23日)
1996年3月23日には初の総統・副総統直接選挙が行われたのに加え、民進党が市政を担っていた台北市において、第4原子力発電所の建設の是非を問う「住民投票」も同日実施された(1996年3月23日)

投票当日、金門の部隊は警戒を強化

投票日当日、中国にほど近く、台湾防衛の最前線とされる離島・金門では、中国による軍事的圧力が強まる中、国軍が警戒態勢を強化し、前線の安全確保に努めた(1996年3月23日)
投票日当日、中国にほど近く、台湾防衛の最前線とされる離島・金門では、中国による軍事的圧力が強まる中、国軍が警戒態勢を強化し、前線の安全確保に努めた(1996年3月23日)

李登輝氏、初の直接選挙による総統に

1996年3月23日、中華民国史上初の総統・副総統の直接選挙が行われ、当時の総統であり国民党主席(党首)でもあった李登輝氏(中央)が当選した。李氏は4月1日、妻の曽文恵さん(左)に付き添われ、総統府で当時中央選挙委員会の黄昆輝主任委員(右)から当選証書を受け取った(1996年4月1日)
1996年3月23日、中華民国史上初の総統・副総統の直接選挙が行われ、当時の総統であり国民党主席(党首)でもあった李登輝氏(中央)が当選した。李氏は4月1日、妻の曽文恵さん(左)に付き添われ、総統府で当時中央選挙委員会の黄昆輝主任委員(右)から当選証書を受け取った(1996年4月1日)
1996年中華民国総統・副総統選挙結果
1996年中華民国総統・副総統選挙結果
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