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文化+/古民家、あえて残す時が刻んだ傷痕 父が愛したわびさびの心とともに

2023/07/25 17:22
180年超の歴史を有する実家を再生し、地元の文化を発信する「源古本舖」として生まれ変わらせた古正君さん。家具はいずれも当時のものをそのまま使っているか、工事で出た廃材を改造した。
180年超の歴史を有する実家を再生し、地元の文化を発信する「源古本舖」として生まれ変わらせた古正君さん。家具はいずれも当時のものをそのまま使っているか、工事で出た廃材を改造した。

「古い家ならではの汚れや傷をなるべく残したい」―生前の父親が残した言葉を胸に、北部・桃園市大渓の実家を10年かけて再生させた古正君さん。180年超の歴史を有する屋敷に新たな命を吹き込み、地元の文化を発信する「源古本舖」として生まれ変わらせた。

大渓には昔ながらの街並みが残る。一方で、古さんの父は古い建物が修復されるたびにその良さが消し去られてしまうとよく嘆いていた。「日本の『古民家』はどんなに古くても、あんなに美しい状態で残されているのに」

大渓では華やかな彫刻が施された建物が立ち並び、まるでタイムスリップしたかのような気分を味わえる。だがお土産を買って帰った後、頭にはどんなイメージが残るだろうか。建物は本当にその当時の姿のままなのだろうか。そこでかつて営まれたであろう日々の暮らしに思いをはせる人は、一体どれほどいるだろうか。

昔ながらの街並みが残る北部・桃園市大渓
昔ながらの街並みが残る北部・桃園市大渓

家に関するあらゆるものを大事にする古さん。父親が生前、よく話していた「わびさび」の精神を忘れず、かつて暮らした実家を10年かけてよみがえらせた。源古本舖は台湾の歴史建築の修復においても重要な意義を持つとされる。

▽「早く家を出たい」 嫌だった不便な暮らし

元は広告業界でバリバリ働いていた古さん。米国、カナダ、中国と世界各地を忙しく飛び回っていた。実家は5代続く老舗菓子店。地元の店として地域とのつながりが強く、影響力もあった。だが、古さんは長い歴史を有するわが家を良く思っていなかった。「大人になったら絶対ここを出てやる」。そう強く願っていた。

その理由に話が及ぶと「今振り返るとおかしく思える」と笑った。水を飲むにも風呂に入るにも、かまどでまきを燃やさなければならず、幼い頃から古さんに割り振られた役割でもあった。「本当につらくて、もうまきを燃やすのは嫌だと思っていた」

昨年11月、中央社の取材に応じた古さんは、家の中を細部まで案内してくれた。話す様子からは家への思いや誇りがにじみ出る。独特のセンスも感じられる。病を患ったことがあり体が少し不自由だが、目は生き生きとしていた。

この家はまるで生きているようだ。修復後の歴史建築にあるようなさっぱりとした輝きはない。その代わり、あちこちから時の流れが感じられる。修復時に釘を1本も打たず、白いペンキで壁を塗りつぶすこともしなかった。家具はいずれも当時のものをそのまま使っているか、工事で出た廃材を改造したものだ。現代的な生活の象徴である配電盤ボックスは巧妙に隠され、存在感が消し去られている。

何層にも入り組んだ室内の隅々には空気が行き渡り、エアコンがなくても快適だ。この日の午後には雨が降ったが、水滴が屋根瓦や石壁をたたく音はまるで取材に訪れた記者たちを歓迎しているようだった。

この家は古さんと似ている。長い間、病や痛みに苦しめられながらもどっしりと構え、あらゆる挑戦に正面から向き合っている。古さんは父親の考えを受け継ぎ、自身が信じる道を歩み続けている。

何層にも入り組んだ室内の隅々には空気が行き渡り、エアコンがなくても快適。
何層にも入り組んだ室内の隅々には空気が行き渡り、エアコンがなくても快適。

▽実家は地元の人々の心に残る老舗

道路に面した店舗と住宅が一続きになっている昔ながらの「街屋建築」。この家を購入したのは古さんの祖父だった。

実家の菓子店「古裕発商号」の創業者は古さんの高祖父。新竹出身で、元は劇団について回ってさまざまなものを売っていたが、大溪の繁栄を見越し、1894年に店を開業させた。

3代目に当たる古さんの祖父が店の近くにあったこの屋敷を店舗兼住宅として購入。古裕発商号はさらに繁盛し、地元民の記憶の一部になっていった。

写真には古さんの母親と妹が写っている。
写真には古さんの母親と妹が写っている。

▽広告業界で活躍 機内誌で見た「実家」

一見、事業を成功させた一家のサクセスストーリーのように聞こえるが、この家での生活は大変なもので、メンテナンスにも多大な労力を要した。古さんは自身の目標通り、18歳で実家を離れた。

大学でマスコミュニケーションを学び、卒業後には広告業界に飛び込んだ古さん。少しずつキャリアと人脈を築き、海外にも活躍の場を広げ、業界内で名前がある程度知られるようになった。

ある日、飛行機に乗って機内誌をめくっていたら驚いた。実家が取り上げられていたのだ。慣れ親しんだ実家のはずなのに、どこか距離感を感じる。自身が「わが家」について知っていることは雑誌の記事にも及ばない。どくどくと鼓動が脈打つ。こみ上げてきたのは恥ずかしいという感情だった。

中国で行われたフォーラムに出席した際、故郷である大溪の再生に尽力する団体のドキュメンタリーを見て反省した。実家は父親によってある団体に貸し出されていた。実家が他人に託されている一方、自身は異郷で古民家の修復を提唱していることに思うところがあり、大溪に帰ることに決めた。家を出てから20年がたっていた。

▽父の強い思い

古さんが帰ってきたことを最も喜んだのは、屋敷の購入当時からさまざまなこだわりを持っていたという父親だった。

「購入したとき、すでに築100年以上の家でした。歴史建築である以上、残されたものは何一つとして壊されるべきではないと言っていました」。父親の思いを語る古さんからは不思議な笑みがこぼれる。

古さんが幼い頃から父がよく口にしていたわびさび。「一体何なんだろうと思っていました。わさびしか聞いたことなかったので」と笑う。

▽「映画スタジオ」に修復されるのはお断り

父親は日本統治時代の教育を受けたため、思考や観点は日本の影響を深く受けていたという。実家の菓子店を継がずに日本の商社に勤めた古さんの父。店は母親が仕切っていたが、古さんが20歳のとき、のれんを下ろした。「一つの時代が終わり、商売も下火になった。別の道を歩むしかなかったんだと思う」

だが父親は家に愛着があり、手放そうとしなかった。古さんが実家に戻り、家の再生についてきょうだいたちと話し合ったが、父親とは意見が合わなかった。公的機関と協力して修復しようとしたが反対されたという。

父親は政府機関によって家が壊されてしまうことに懸念があった。一度破壊されてしまえば元に戻すのは不可能だ。「映画スタジオのようにされるのだけはお断りだ」と口を酸っぱくしていたという。

▽「修復の跡」は残さない 廃材はサプライズに

修復の上で「古さを維持する」ことにこだわった古さんの父。この建物が持つ本来の味をそのまま残したかったのだという。だが、父親の理想を達成するため「修復の跡を残さない」ように作業を進めるのは「より多くの予算と時間がかかることを意味していた」と古さん。

古さんの父は廃材でも残せるものは残すよう求めた。「生活の記憶を示すものは必ず残す」。当時は父の言う意味が分からなかったが、その通りにした。修復を終えた姿を見て「やっと分かった」という。他人から見たら廃材以外の何物でもない、虫に食われ傷んだ木材でさえ取っておいた。

そして、それは正しかった。並べられたテーブルや椅子は、全てこれらを利用して作ったものだ。工事の過程で出てきた廃材を信頼できる知り合いや友人に託し、異なる素材と組み合わせることで意外な効果を生み出した。「サプライズな雰囲気に仕上がり、新旧が融合する機会につながった。違和感は全くない」

▽古い瓦は床に再利用 湿気逃がす

台湾では南風が暖かく湿った空気をもたらす。古さんは床に埋め込まれた瓦を指さして語る。「古い瓦が地面の湿気を効率的に逃してくれる。床が呼吸するんです」。コンクリートで全て固めてしまっていたら、じめじめした空気はこもったままだった。古民家を修復しようと考えた近隣の住民たちもこのアイデアを取り入れたという。

床に埋め込まれた古い瓦
床に埋め込まれた古い瓦

100年余りの歴史を有する家だ。木材を取り外そうとすれば壁面も一緒に剥がれてしまう。すると、内部に詰められていた石や泥がさらけ出される。それを隠そうと穴を埋めてしまう人もいるだろう。「でも父はそれでも良いと思ったんです。古くて何が悪いと」。あらわになった壁の内部をあえてそのままにすることで、中の構造が分かるようになった。

菓子店だった頃に火であぶられてできた黒い斑点でさえ父の意思を尊重して残した。剥がれてしまった壁は専門家に頼み、これ以上傷まないように補強した。不完全の美。「まるで壁画のようだと思わない」と古さんは言う。

壁に残る黒い斑点は菓子店だった頃に火であぶられてできた。「まるで壁画のよう」と古さんは胸を張る。
壁に残る黒い斑点は菓子店だった頃に火であぶられてできた。「まるで壁画のよう」と古さんは胸を張る。

▽大溪の文化発信の場に

この家を古民家修復の実験基地として位置づけることにした古さん。だが修復が終われば、ここで何をするかが重要になる。ここに住むだけでなく、大溪の人々にとって文化を発信する場になればと考えた。他の地域の人々が大溪を知る上での入り口にしようというのだ。

驚くことに、工事が始まる前や工事中でもイベントを開催。地元民だけでなく文化に携わる業界人をも巻き込んでいった。受賞経験のある親戚のダンサーや伝統人形芸能「布袋戯」(ポテヒ)の操り人形師を招いたり、大溪のさまざまな分野のベテラン職人による講演を開いたりすると好評を集めた。

家の修復だけでなく、古さんはその先を見据えた。ここはもう古家の家にとどまらず、大溪を代表するスポットであり、台湾で最も生活の温もりが感じられるイベントスペースになったのだ。こうして「源古本舖」は独特の形になっていった。

古民家修復の実験基地、そして文化発信の場に。
古民家修復の実験基地、そして文化発信の場に。

▽あえて残す古さ 暮らした人々の日々感じる空間

「修復の過程では多くの衝突や対立があり、すり合わせがあった」と古さんは振り返る。政府機関や地方自治体側が古さんたちの考えも「悪くない」と受け入れ、やってみようという姿勢を見せた。そうして修復されたこの場所には人が暮らしているような雰囲気が漂っている。

古さんによれば、源古本舖はある種の一里塚になったとの評価を専門家から得ているという。空間の古さを徹底的に残すという修復方法は台湾でもできると証明して見せたのだ。

残念ながら古さんの父親は数年前に他界してしまい、生まれ変わったこの家を古さんと共に目にすることはかなわなかった。今は古さんと90代の母親がこの家を守り、父がこだわり続けた「わびさび」の美学を実践し続けている。

(邱祖胤/編集:楊千慧)

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わびさびの精神は屋敷の隅々に宿る。
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