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文化+/台湾のタトゥー文化 変わりゆく環境 彫師の図案図録も登場<文化+>

2025/03/07 18:24

中国の短編小説集「聊斎志異」に収められる物語「画皮」は、人の皮に美女を描いて化けた妖怪の話だ。

技術で言うと、入れ墨、彫り物も同様に「皮に描く」ものだ。台湾の歴史において、先住民族の神聖なタトゥー文化が植民地政府によって「野蛮」だとして抑えつけられたり、長年にわたりヤクザと結びつけられたりするなど、入れ墨は化け物のように見なされてきた。

だが近年、タトゥー文化を巡る環境は変化してきている。彫師のオリジナルデザインを収録した書籍が作られた他、彫師が国内外の各店舗に出張する動きも常態化している。

▽ 台湾でのタトゥーの先駆けは先住民族の文化

台湾で最も早くタトゥー文化を発展させたのは、先住民族だ。顔に墨を入れる「文面」の風習を持つタイヤル族やセデック族、体に模様を彫るパイワン族、ルカイ族、プユマ族、タロコ族など、タトゥーの位置や模様などは異なれど、いずれも特殊な意味を持ち、神聖なものだとされている。

国立台湾博物館が1999年に刊行したタイヤル族の文面文化に関する書籍によれば、中国の隋の時代を扱った「隋書」で、中国の東の海上にある島国(流求)について書かれた「東夷伝流求編」の中に「婦人がヘビの模様の入れ墨を手に施していた」との記述がある。もし「流求」が本当に台湾であるとすれば、7世紀後期にも台湾の先住民族がタトゥーを行っていた記録があったことになる。

▽ 日本統治下で先住民のタトゥーを抑圧 日本式の入れ墨が台湾に

タイヤル族を例に出すと、タイヤル族にとってタトゥーは神聖的な意味合いを持つ。タイヤル族にはこんな伝説が受け継がれている。

はるか昔、唯一の人類が巨大石から生まれた兄妹だった頃、繁殖の問題に直面し、妹が兄にこう言った。「明日、顔を真っ黒に塗った女が現れる。それが妻だ」。兄はこれを信じ、顔を炭で真っ黒にした妹と交わって子を設けた。それがタイヤル族の祖先となった—という物語だ。

先住民にとっては非常に重要なタトゥーだが、1895年に日本が台湾を統治下に入れると、先住民の文面や「文身」(体へのタトゥー)は強硬に干渉されるようになった。例えば1913年、当時の南投庁長、石橋亨は三つの集落の頭目と関係者を呼び出し、「入れ墨」の禁止を言いつけ、誓約として頭目たちに母印を押させた。その後、次第に文面の道具も没収するようになり、文面を持つ者を取り締まった。

人類学者、馬騰嶽氏は実地調査で、タイヤル族の長老も後に文面を「非文明的」な象徴だと考え、会った人を驚かせないように除去手術を受ける人もいたという。日本統治が終わり、国民政府に台湾が接収されると、文面などの風習は禁じられなくなったが、失われたものを復活させるのは容易ではない。

宗主国の日本政府は先住民のタトゥー文化に大きな変化をもたらした。同時に、政権を強固にし、社会秩序を安定化させるため、台湾に西洋的制度を導入した監獄を設置した。台湾の「刺青」(入れ墨)文化はここから始まることになる。

▽ 日本式の伝統的入れ墨 ヤクザとの結びつきを形成

フェミニズム研究に携わる学者の何春蕤氏は、2010年に現代台湾のタトゥーのジェンダーと階級に関する論文を発表し、職歴40年超の彫師、范植清さんを取材した。

范さんは何さんにこう説明した。「かつての台湾の入れ墨の主な文化的資源は20世紀初頭の日本統治時代に兵士や浪人、浮世絵の暦などを通じて日本式の入れ墨が台湾に流入しました。絵柄の多くは竜や虎、鯉、五毒、鬼などの日本伝統的な入れ墨の図案や浮世絵のスタイルが濃厚に漂う大型の入れ墨でした」

また、日本統治時代の終結後、西洋式の監獄は新政権が政治犯やはみだし者を長期的に監禁する場所となり、この土地で自分たちで発展させた入れ墨は日本のスタイルを吸収、模倣し、これらの要因によって台湾ではヤクザが入れ墨でその力を表現するという文化が形成されていったのだと范さんは語った。

「天幻城市」 (少年吔,安啦!、1992年)や「五湖四海」(1992年)など台湾のヤクザを描いた20世紀の映画には、竜や鳳凰の入れ墨が体にある役者の姿がよく見られる。俳優のジャック・カオ(高捷)さんは「天幻城市」の撮影で、背中から肩にかけての入れ墨風ペイントを施した。

体に本物の入れ墨がある俳優のチェン・ソンヨン(陳松勇)さんはいつも汚い言葉を操りながらヤクザ役で登場していた。人々の印象の中では、入れ墨とヤクザの結びつきはこれほど強固なのだ。同時に、戒厳令が解かれる(1987年)と、各メディアではエンタメが扱われるようになり、世界のトレンドも相まって、多くの若者が台湾の日本式入れ墨とは全く異なる欧米のタトゥーに出会うようになり、芸能人やスポーツ界のスターなどの影響で大胆にタトゥーに挑戦し始めた。

何氏によれば、2000年前後には海外のタトゥーイベントに参加して見識を深めようとする彫師も出てきた。異国での経験によって刺激を受け、より専門的な環境を持ちたいと願うようになった台湾の彫師は、より一層「専門化」に向けてまい進するようになる。タトゥーの専門誌が創刊されたり、台湾でタトゥーのアート展が開かれたり、国際コンテストで台湾の彫師が賞を獲得したりする中で、メディアの影響もあり、タトゥーとヤクザの絶対的な結びつきは徐々に消えていった。

▽ 台湾彫師のデザインを収録した書籍刊行

2024年末、製紙会社、恆成紙業が手掛けるコンテンツ「野点」(nodate)から、台湾彫師12人のオリジナル図案を収録したポケットサイズの図録「刺花」が出版された。タトゥーに全く触れたことがなく、台湾にどのようなタトゥーがあるのか興味がある人をタトゥーの世界に導くだけでなく、作品が掲載された彫師にとっては自己紹介のツールにもなる。

野点の張玉音ディレクターが手掛けた台湾彫師の図録「刺花」(攝影:徐肇昌)
野点の張玉音ディレクターが手掛けた台湾彫師の図録「刺花」(攝影:徐肇昌)

「刺花」を手掛けたのは、野点でディレクターを務める張玉音さん。張さんは長年、芸術メディアで働いた経歴を持つ。

近年、タトゥー業界では、彫師が別の店に出張して施術を行う形態が常態化している。張さんは初めてこの「出張」というものを聞いた時、これは芸術家がある場所に一定期間滞在して制作活動を行う「アーティスト・イン・レジデンス」のようなものだと思ったと話す。だが、両者を比較すると、アーティスト・イン・レジデンスが行政や機関などが関与する多面的な交流活動であるのに対し、彫師の出張は民間による自発的な活動であるため、よりスピーディーに互いを知ることができると張さんは分析する。

張玉音さん(攝影:徐肇昌)
張玉音さん(攝影:徐肇昌)

張さんは書籍が生まれた背景についてこう話す。「彼らは自分たちの力だけで台湾のタトゥー文化を紹介しないといけないということです。そして、単語集サイズの書籍を作れば、彫師が海外に行く際、台湾には多種多様なスタイルの彫師が大勢いることを書籍を通じて紹介できるかもしれないと思い付きました」

企画を進めるに当たり、自分の仕事に情熱を抱く彫師と多く出会った。企画の始動を決めた時には「台湾でやっとこれを始めてくれる人が現れた」との言葉を掛けられたという。その言葉によって、この書籍を生み出す必要性をさらに確信したと張さんは話した。

(王宝児/編集:名切千絵)

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