絶滅の危機にひんし、保護の対象とされるタイワンツキノワグマ。だが、かつて人とクマを隔てていた「境界線」があいまいになり、人々の暮らしを脅かす存在となっている。長年の保護活動が実り、個体数が回復傾向となった一方、人々の安全をいかに守るのか。専門家は日本の取り組みが参考になるとの考えを示す。
▽ 台湾固有亜種で絶滅の危機 近年は個体数増
タイワンツキノワグマは台湾に生息する唯一のクマで、台湾固有の亜種。1989年、農業委員会(農業省に相当、現農業部)によって「野生動物保育法」における「絶滅の危機にひんする種」に指定された。2001年には一般市民による投票で「台湾で最も代表的な野生動物」に選ばれ、台湾をPRするキャラクターのモチーフとしてもたびたび採用されている。
農業部(農業省)林業・自然保育署は今年3月末の時点で、個体数は1200頭前後だとする暫定推計を発表。 近年は個体数が増加しているとされる。
▽ 人との遭遇、昨年は15件で近年最多 目立つ「積極的な侵入」
同署などの統計によれば、クマの出現に関する通報の件数は増加傾向にある。2018~22年までは、年間3〜6件で推移していたが、23年には11件、25年には近年で最多となる15件が報告された。
通報の内容にも変化が見られる。わなにかかってしまった個体や死骸の発見が中心だったが、近年は人間の生活圏への「積極的な侵入」が目立つ。昨年4月には東部・花蓮県卓渓郷でクマが養鶏場を襲い、ニワトリやイヌを食い殺した。その後、見回りをしていた男性がクマに遭遇し攻撃されそうになったため、クマを射殺する事態も起きた。
南部・嘉義県の阿里山では今年1月、山小屋に入り込み、冷蔵庫を開けて食料を平らげるクマまで現れた。クマの被害に何度も遭っている集落の住民は、家財の損害に頭を抱えるだけでなく、集落の子どもがクマに遭遇してしまったらとおびえる。
▽ 重なる生活圏 なぜ、クマは山を下りたのか
「保護の対象」とされてきたクマ。今や「生活と安全を脅かす捕食者」へと変貌しつつある。なぜクマは山を下りたのか。専門家は複数の要因が絡み合っていると指摘する。
まず、保護活動によって個体数が増加し、分布域も広がったことが挙げられる。2011年から17年までは17の郷鎮(町村に相当)で生息が確認されていたが、18年から25年にかけては27の郷鎮へと拡大した。
だが、クマの生息密度はまだ飽和状態に達していないと専門家は声をそろえる。東海大学(中部・台中市)特別教授、林良恭氏によれば、台湾全土の森林の面積から計算すると5000頭の生息が可能で、現時点の個体数は推計1000頭余りなので余裕があるはずだ。
環境調査などを行う野声環境生態顧問有限公司を立ち上げた姜博仁氏は、山上のクマの個体数が増えたため、若い個体が新たな縄張りを求めてより標高が低い場所へと移動していると分析する。
さらに、山村の高齢化や離農により耕作放棄地が増え、クマが活動しやすくなった。人通りが減った農地はクマにとって移動が容易な通路となり、クマの運動能力なら人里まですぐに下りて来られると姜氏は説明した。
クマの学習能力も要因の一つとされる。山上の木の実が少ない季節を迎えると、クマは食料を探して移動する。その過程で養鶏場や山小屋で人間の食べ物の味を覚えてしまい、「人間がいる場所には食料がある」と学習し、繰り返し現れるようになるという。
▽ 台湾の先住民族が直面する苦悩 クマ狩りは「タブー」も迫る脅威
「クマたちよ、われらの集落にもう近づかないでおくれ」ー。2020年10月、東部・台東県の山地にある台湾原住民(先住民)族ブヌン族の集落で聖なる火がともされた。
台湾原住民(先住民)族ブヌン族にとって、クマを狩ることは厳格な禁忌(タブー)とされる。ブヌン族の人々はクマを「山の守護者」として敬い、「伝統的領域を互いに侵さない」という祖先との約束を守ってきた。
だが、2019年から20年にかけて、クマが相次いで集落に出現。儀式に参加した集落の頭目、余阿勇さんは「互いの約束を破らないと誓うべきではないか」と山のクマたちに語りかけた。
昨年4月に養鶏場を襲われたのは、花蓮県のブヌン族の集落だった。クマを射殺した見回りの担当者は心理的負担から辞職に追い込まれたという。地元民は「彼はタブーを犯してしまった。大きな罪悪感にさいなまれたに違いない」と話す。
クマが集落の「伝統的領域」を侵したらどうするのか。クマの脅威が迫る現実に、余阿勇さんは「追い払えるときは追い払う。追い払えなかったら逃げる」とした上で、「逃げられず、命が危険にさらされたら撃つしかない」と迷わず答えた。
▽ 保護と安全確保の両立へ 専門家、日本の「ゾーニング管理」取り入れ提言
林業・自然保育署は現行の措置として、①追い払う②必要があれば捕獲し、山に放す③何度も人里に現れ、リスクの高い個体は(動物園などに)収容する―の3段階で対応を標準化している。林華慶署長によれば、台東県にクマを長期的に収容する拠点の設置を計画中で、けがをした個体の受け入れ、治療も担う方針だという。
ただ、東海大の林教授は収容するとクマを飼育し続けることになり、社会の負担になると指摘。日本への留学経験があり、日本の専門家との交流もある同氏は、台湾が参考にできる日本の取り組みとして「ゾーニング管理」を挙げる。
ゾーニング管理とは、森林などクマの保護を優先する区域と、農地や住宅地など人間活動を優先する区域に加え、これらの間に銃器などで追い払い、クマの出没を抑制する緩衝地帯を設定し、それぞれに応じた対策を実施する手法。クマと人間のすみ分けを通じ、農林業や人への被害軽減を目指す。
林氏は、日本では人が暮らす地域にクマが現れた場合、殺処分も可能だとされていることに言及。台湾には国家公園保護区が設けられているものの、それ以外の区域は特に定められていないと話した。
また、日本では市町村長の判断で、市街地では猟銃を使ってクマなどを捕獲できる「緊急銃猟」が可能とされている。林氏は、日本の方法では地域ごとの管理がしやすいと説明し、台湾は地方自治体が十分な役割を果たせていないと指摘。台湾では農業部の林業・自然保育署が主な業務を担っており、地方自治体が実際に集落に介入して啓発活動を行っていくべきだと訴えた。
林氏は「今後5年以内に、クマは標高1000メートル以下の地点でも活動するようになる」と予測。先住民の集落だけでなく、平地の農場や牧場にも出現するようになるかもしれないとした上で、安楽死の可否やゾーニング、通報のメカニズムなどより一貫した措置を策定していく必要があると語った。





