台湾で1970年代に人気を博したショー文化。南部の歌謡ホールで特に輝きを放っていたのが、高雄の「藍宝石大歌庁」だ。当時は大スターも駆け出しの歌手も、ここでしのぎを削っていた。「藍宝石のステージに立たずして、スターになるのは難しい」と言われていたほどだった。
当時の輝かしい姿は、かつての観客やベテラン芸能人の記憶に今でも深く刻まれている。メロドラマの題材になっただけでなく、近年開業した高雄流行音楽センターでもかつてのスターを再集結させたコンサートが開かれ、当時のきらびやかな光景が再現された。
藍宝石大歌庁は1975年、台鉄高雄駅に程近い場所に高雄初の歌謡ホールとして開業した。開業当初は最大約200人しか収容できず、観客があふれる状況になるほどの盛況ぶりを見せた。座席数を増やしてリニューアルオープンすると、最盛期に向けて駆け上がっていった。
歌謡ホールのプログラムは、前座、セミ、メイン、演劇に分けられる。司会者にはその間をつなぐだけでなく、臨機応変さも求められた。出演者の到着が遅れている際には歌を歌って盛り上げる必要もあった。新人の演者は歌やダンスの他、手品や物まねなどバラエティーに富んだパフォーマンスを織り交ぜていた。
だがその栄光は1980年代になると、戒厳令の解除やケーブルテレビの登場に伴い、次第に衰退していくことになる。大衆娯楽が増えただけでなく、テレビ番組に対する規制も徐々に緩和されたのを背景に、スターたちは仕事の重心を徐々にバラエティー番組に移すようになり、反対に歌謡ショーの出演頻度が下がっていった。それに加え、歌謡ショーに出演する司会者や演者の顔触れのマンネリ化もあり、その魅力も下がっていった。
▽ 藍宝石に立たずしてスターになるのは難しい
藍宝石大歌庁はかつてはショー文化の代名詞的存在だった。藍宝石の舞台に立ったことを芸能生活の大きな経歴としているスターや歌手も少なくない。多くのスターを輩出した藍宝石は芸能人を育てるゆりかごだったと言える。当時語られていた「藍宝石のステージに立たずして、スターになるのは難しい」との言葉は、藍宝石の地位を浮き彫りにしている。
「藍宝石のおかげで、南部の魅力が増しました」。今年68歳の高雄市民、薛秀美さんは藍宝石でショーを見ていた当時のことを振り返る。家族の関係でよくチケットを手にしていたことから、小学生の頃から母親と一緒に藍宝石をよく訪れていたという。藍宝石で育ったのだと薛さんは語る。「あの頃は本当に幸せでした。出演者はみんな真剣で、精一杯のパフォーマンスを観客に見せてくれていました」
社会人になってからは、友達と一緒に見に行くように母親からチケットを渡された。母親と藍宝石で過ごした月日は、自身にとって一生で大切な思い出なのだと薛さんは言う。
▽ 金の延べ棒やプレゼントを投げ込み おひねりも太っ腹
「藍宝石での観劇は、大笑いしたかと思えば次の瞬間にはティッシュで涙を拭っていたりと、本当に人生模様を感じさせてくれました」。演劇パートでは、誰かから寄せられた義理人情の物語が観客を悲しみに包んだ。観客たちが客席ですすり泣く光景は忘れ難い思い出だと薛さんは語る。
薛さんは藍宝石の最盛期を振り返り、「昔の社会の方が面白く、人情味がありました」と感慨深げに話す。藍宝石では、観客は遠慮なくステージ上の出演者をねぎらった。「金の延べ棒を投げ込んだり、プレゼントを投げ込んだりというのはよくあることでした。今のショーではなかなか見られません」
藍宝石があった八徳ニ路は、かつては藍宝石のおかげでかなりにぎわいを見せていた。周辺には飲食店や商店、美容院があり、「入場するお金がなくても、路上には楽しみがたくさんあったのです」と薛さん。スターに出くわすのを期待し、ホール近くの美容室に洗髪に来る人もおり、ツァイ・チン(蔡琴)やチャン・ホイ(江蕙)、バイ・ビンビン(白冰冰)などの有名歌手が隣でスタイリングをしている現場に居合わせることも日常茶飯事だったという。
八徳ニ路の近隣に住んで50年になる呉文欽さんは、藍宝石の繁栄と衰退を目撃してきた。最盛期は正午過ぎにはホールの周辺はチケットを買おうとする人でごった返した。「肩と肩がぶつかり合い、溢れ返るほどでした」と呉さんは振り返る。
▽ 若者にデートスポットにも
呉さんは、彼女ができた際には必ず「歌を聞きに行こう」と誘っていたと笑う。友達から「誰々が今日藍宝石に行くんだって」と聞くと、みんなうらやむ表情を浮かべていたという。「かつてはチケットが取れたら本当に自慢できるようなことでした」。
呉さんは、藍宝石ではつまらないパフォーマンスは決してなく、歌手の渾身のステージに観客は情熱で応え、歓声が絶えず沸き上がっていたのがと当時の光景を懐かしむ。
高雄に住む現在40~50代の人の中には「小さい頃に藍宝石に連れて行かれた」との記憶を持つ人も少なくない。曽さんは藍宝石に連れて行かれたものの、「幼すぎて笑うポイントが理解できないことも多く、ただ一緒につられて笑っていました」と話した。
ショー文化は台湾の娯楽史において輝かしい一幕だった。きらめく舞台の音や光の効果、司会者と演者の趣ある掛け合いは、一時代を築いた名司会者のジュー・ガーリャン(豬哥亮)やハー・イーハン(賀一航)、人気歌手のカオ・リンフォン(高凌風)らの逝去に伴って次第に忘れ去られようとしている。最盛期から半世紀が過ぎたものの、ショーの華やかさは今でも人を引き付ける。藍宝石の輝かしいステージを復刻したコンサートが今年5月、昨年に続いて高雄市で開かれ、イエ・アイリン(葉璦菱)やカンホン(康弘)やホアン・シーティエン(黄西田)ら当時のスターが再びステージに立った。コンサートを通じ、当時のきらきらした歳月を再びよみがえらせている。