新竹人は子供の頃、貢丸(新竹名物の肉団子)に乗って学校に通い、12歳になると1粒の貢丸をもらってそれを育て、最後にそれは生涯の乗り物になる―。これはある漫画家の想像上のものではあるが、インターネット上で長く伝えられている。最近、新竹ローカルの雑誌「貢丸湯」は、この漫画家とコラボレーションし、新竹の朝食やグルメが巨大な怪獣になって街を占拠するという漫画を掲載した。
ちょっとふざけ過ぎてはいないだろうか。
実はそんなことは決してない。8年の歴史を持ち、台湾の出版賞「ゴールデン・トライポッド・アワード」(金鼎奨)を2度受賞しているこの雑誌は、常に新竹市街地で市民と共に成長し、自分たちの街の物語を掘り起こしている。決してふざけてはいないのだ。
取材当日、筆者とカメラマンは台北から車を南に走らせ、新竹テクノロジーパークに出勤する人々の渋滞をさっと抜けてから、ひっそりと静まり返った城隍廟夜市をぐるっと回ってようやく旧鍵屋の建物に入る編集部にたどり着いた。この時、太陽はすでに高く昇り、気温は35度。ナイトマーケットの商店街はシャッターが下り、街全体は依然として眠ったままだ。
「こんにちは。ご苦労さまです」。「貢丸湯」の発行人、90年代生まれの呉君薇さんは玄関で私たちを笑顔で出迎えてくれた。入り口に企業名の「見域」の2文字がなければ、歴史ある理髪店と間違ってしまうかもしれない。レトロで飾り気のない雰囲気は完全に庶民の生活に溶け込んでいる。
※本記事は中央社の隔週連載「文化+」の「從一場搶救新竹老屋行動開始 吳君薇、《貢丸湯》和它的產地」を編集翻訳したものです。
▽ 新竹のために何かしたい 清華大の学生同士で活動を開始
「貢丸湯」を発行する「見域工作室」は、清華大学(新竹市)の異なる学部の学生が一緒になって互いを刺激し合う「清華学院」(現厚徳書院)の仲間たちによって設立された。文化部(文化省)が開催する出版物のコンテストで賞を獲得し、予想外に最初の資金を得たことをきっかけに、8年にも及ぶ雑誌実験計画、そして、紙の雑誌を通じて地元住民と交流し、故郷を改めて知る“希望の工事”が始まった。
大学時代、学生議会の議長を務めていた呉さん。志を同じくする仲間たちが学内で同性愛や歴史的建築物の保護などさまざまな問題について議案を出していた。「当時、フェイスブックは発展途上だったので、何かを伝えるにはお金が必要な今とは違い、個人のページで意見を発表すれば本当に何でも見てもらえました。『誰でも15分間は有名になれる』という言葉は現実のものになっていたのです」
呉さんは2014年末、物事を掘り起こすのが好きな仲間と共にフェイスブックページを立ち上げた。「新竹の廃墟や古い建物を撮影し、それに文章を付けて地域の歴史を紹介したところ、インターネット上で多くの共感を呼びました。最終的には古い建物群を救うことに成功したのです」
▽ 都市を知るプラットフォームの不足に気付く
呉さんたちはある興味深いことに気が付いた。多くの人が勉学や仕事のためにこの地にやって来て、その後も留まり続けているものの、“島内移民”の彼らはこの都市について何も知らないという点だ。「この都市の文化や歴史を伝える優良なプラットフォームが今まではなかったことに気付きました。ひいてはグルメやレジャーの情報さえもなかったのです。そのため、新竹は文化砂漠、美食砂漠だと思われがちでした。でも実は、情報を伝えるプラットフォームがなかっただけなのです」
当時、仲間たちには「何かをしなければ」という熱意がみなぎっていた。その時、代替役(軍務に服する代わりに政府機関などで勤務する制度)でアフリカに派遣される男性のニュースを目にし、「恵まれた子供はもっと社会貢献しなくてはならない」という思いが仲間の間で湧き上がった。「『可能ならば、学んだことでこの社会に手を差し伸べたい。学校は職業訓練所でも、次の人生のステップに進む踏み台でもない』と私と多くの仲間は考えるようになりました」
▽ 古建築の保護活動で「いかにして対話するか」考える
大衆と意思疎通を行うプラットフォームを作ろうと真に決意したのは、ある出来事がきっかけだった。
呉さんは新竹市内にある日本統治時代建設の監獄宿舎群の保存運動に参加した。抗議の意思を伝える演劇を上演するなど、多くの学生がこの運動に参加した結果、宿舎群の保存が決まった。「これは多くの人が集中して動いた結果であるとはっきり分かりました」と呉さんは話す。
ある時期、台湾各地では古民家が自然発火、あるいは破壊される出来事が相次いでいた。それらに対し、学生が働き掛けをするとあちこちから支援の手が差し伸べられた。「でもあの保存運動を通じて、なんでもかんでもあれほど大規模な動員に頼るわけにはいかないと気付きました。それは心身を共にすり減らす状態なのです」
宿舎群保存運動の後、呉さんらは「一般の人々と対話し、文化資産の保存というものを生活の中に溶け込ませないといけない」と考えるようになった。そして「見域」を立ち上げ、雑誌「貢丸湯」を創刊した。
▽ すぐそばにあるけれど温もりを与える「貢丸湯」精神
「見域」は日本の子供が遊ぶ「けん玉」から取った。2つの単語は中国語の発音が同じだ。「私たちがしたいのは『地域を見てもらう』ということです」。
呉さんは「地方創生」という言葉を出す。「今は当たり前の概念だと思われていますが、かつては『国際化が素晴らしい』『時代の流れに乗ってより進歩した観点を学ぶべきだ』と考えられていた時期もありました。でも、『ローカルなものほど国際化する』と主張する人もいます。これまで多くの地方には自分で発言する権力や、声を伝えるパイプがなかったように思います。私たちがしたいのは、地方の本質や、地方の人々が言いたいことを含め、地方を多くの人に知ってもらうということなのです。このような気配りを抱きながらこの雑誌に使命を与えています」
「貢丸湯」で伝えたいのは大衆の文化や庶民の文化なのだと呉さんは話す。「かつてはイベントや展覧会こそが文化だと思われていました。ですが私たちが着目しているのは、生活の中で見過ごしてしまいやすい、あるいは見慣れ過ぎて当たり前だと思っているけれども大切な時に温もりをくれる物事です」
「貢丸湯」はまさにこのような物だ。どこにでもあって、あって当たり前のようだが、外から来た人に温もりを与えてくれる。「これが最初にこの名前を雑誌に付けた最大の原因なのです」と呉さんは言う。
▽ 紙の雑誌を出版 ターゲットは中高年
雑誌づくりについては最初はみんな素人だった。創刊号では、論文のような文章を載せていたこともあった。「その後、他の人の雑誌を多く見て、誰もこんな風にはしていないと気付きました」と呉さんは笑う。
創刊号のテーマは「新竹へようこそ」。いろいろな背景を持つ人が集まっていることや悠久な歴史、豊かな文化、グルメなど、新竹の素晴らしさを包括的に紹介しようとした。
まずは1000冊を刷り、すぐに売り切れた。重版してもまた売り切れた。「嘘みたい」というのが呉さんたちの率直な感想だった。
同雑誌を読んだ新竹の上の世代の人が一気に100冊を買ってくれた。販売場所もネット書店や一般の書店ではなく、各地の個人書店を中心にした。台湾各地の人に見てもらいたいとの思いからだ。メンバーはマーケットについて詳しくなく、その上、人手が限られていることが多い個人書店は締めや精算も比較的ゆっくりしている。そのため、突如として代金が振り込まれ、「不意にお金を拾った」ような感覚になることもあると呉さんは話す。だが、個人書店は最初は露出の面で良い販売経路となった。
雑誌を出版して以降は、雑誌以外のその他の形でも新竹の物語を紹介してほしいとの声も寄せられた。市内の各小学校の課外学習でガイドツアーを行ったり、文化資産や古跡の委託事業を請け負ったりしたこともある。呉さんは、「地域を見てもらう」という要素に合致したプロジェクトを選んで進めているのだと明かした。
▽ デザインはパソコンの前で資料を集めるだけではできない
「私たちには『歯向かっていく』という視点があります」と呉さんは語る。「みんなと対話をしたいと考え、でもその対話は上から下への指導的なものではなくて、真に意思疎通をしようとする対話です。読者や市民が意見をフィードバックできる空間を用意して、出来上がるコンテンツを皆さんのニーズにより合ったものにしようとしています」
呉さんたちは、テーマを設けて話を聞くイベントを頻繁に開催し、読者の声をすくい上げると同時に、寄せられた意見を参考にテーマや内容を考えている。「第18期では交通関連のテーマを取り上げました。ワークショップを開いて新竹の交通に関心のある人々と共にさまざまな場所で交通ルール違反の現状を観察し、それらをまとめて特集の中の一つの章にしました」
中部・苗栗県の台湾原住民(先住民)族の集落と共同で、集落について紹介する小冊子を作ったこともある。かつての先住民族には文字がなく、歴史は口述または歌で伝え継がれていたため、呉さんらはチームを作って彼らの元を訪れ、物語を聞き、多くの写真やテキストコンテンツを集めた。その過程では集落の人々とコミュニケーションを重ね、出来上がった作品は集落の人々から高評価を得た。
誰かと一緒に何かを行う時、必ず現地に十分な時間滞在し、その地域全体の風合いを感じることにこだわっているのだと呉さんは強調する。「どうやってレイアウトを組むか。デザインはパソコンの前に座って他の人の資料を集めるだけではできません。そこにはより細やかな要素と感情があります。実際に現地で暮らして初めて、鍵となる素材やインスピレーションを獲得し、それを持ち帰ってきてデザインに取り入れることができるのです」
▽ 拡大印刷した記事が飲食店に
「貢丸湯」は創刊から8年になる。紙の出版物からすると、容易なことではない。「紙の出版物ということ自体が、対話をするターゲット層と関連してきます。私たちは最初から、対話の対象の多くが中高年であることをはっきりと分かっていました。彼らはデジタル機器にあまり詳しくなく、自分と関係のある物事が出版物で紹介されることをとても光栄に感じるのです」
呉さんはある時外食した際、レストランに「貢丸湯」で紹介した記事を拡大コピーしたものが貼ってあるのを見つけて、とても驚いたという。「彼らが期待しているのはこのようなものであり、紙の出版物が彼らにとって重要だということが分かりました」
過去8年を振り返り、「貢丸湯」は新竹人が自分たちの都市を理解する手助けになっただけでなく、呉さんの仲間一人一人も新竹をより深く知ることになった。「この出版物では一般の人々の生活について語りたいと思っています。庶民の生活をいかにして具体的に紹介するのかということが、私たちが常に考え、試みている挑戦であり、『貢丸湯』が存在し続ける原動力でもあるのです」
「私たちは市民と共に成長してきた出版物です」。呉さんはこう語った。