(台南中央社)国民党政権が市民を弾圧した1947年の「2・28事件」で、身をていして市民の命を救った南部・台南出身の弁護士、湯徳章(日本名:坂井徳章)を追悼する会が、没後78年を迎えた13日、台南市の湯徳章記念公園で開かれた。参加者は湯の銅像に花を手向けた後、湯の旧宅に向かい、修復のために休止していた公開を再開するセレモニーに立ち会った。
湯は日本統治時代1907(明治40)年、熊本県宇土市出身の父と台湾人の母の間に生まれた。東京で法律を学び、台南に戻って弁護士になった。2・28事件の発生後は地域の治安維持に努め、決起を図っていた人々に思いとどまるよう説得。その後、軍に連行されて現在の湯徳章記念公園で銃殺された。拷問を受けても決起を図った人々の名前を明かさなかったため、彼らの命を救ったとされている。
会は湯徳章記念協会が主催。同市の黄偉哲(こういてつ)市長が出席した他、湯の父親の古里、宇土市の元松茂樹市長や、周辺自治体の美里町の上田泰弘町長、宇城市の天川竜治副市長らが参加した。
黄氏は「歴史は過去のものになるが、忘れ去られてはならない」と述べ、黄が台湾のために奮闘し、犠牲となった歴史の証人に市民がなり、その精神を心の中に永遠にとどめておいてほしいと話した。