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中国にゆかりある道路名 台湾各地に点在 たびたび改称機運高まるも実現遠く

2025/12/13 17:58
台湾では目抜き通りに「中正路」または「中山路」との名称が冠されている場所が多い
台湾では目抜き通りに「中正路」または「中山路」との名称が冠されている場所が多い

台北で街歩きをしていると、「中山」や「天津街」、「青島東路」、「南京西路」といった中国にゆかりのある道路名や地名を目にすることがある。このような名称は台湾全土に点在し、地元住民らに親しまれている一方で、民主化を経て改称を求める声も繰り返し上がっており、台湾の複雑な事情が垣間見られる。

▽第2次世界大戦後に増加

フォーカス台湾を運営する中央通信社の本社は台北市中山区松江路にある。中山は駅名や繁華街の地名として有名だが、「中華民国建国の父」と言われる孫文のもう一つの名前「孫中山」に由来する。台北市内には同じく孫中山の名を冠した「中山北路」と「中山南路」もある。松江路は第2次世界大戦後に新設された道路で、島根県の県庁所在地と関係があると勘繰ってしまうが、実際は中国・黒竜江省の前身の一つ、松江省から命名されており、松江は日本語で「しょうこう」と読むのが正しい。

日本人に人気の観光スポット迪化街。迪化はウルムチの旧称だ
日本人に人気の観光スポット迪化街。迪化はウルムチの旧称だ

先日、フォーカス台湾日本語編集部のX(旧ツイッター)アカウントで、台北市の観光名所「迪化街」の「迪化」はウルムチの旧称であり、日本統治時代は「永楽通り」と呼ばれていたといった内容を投稿したところ、「初めて知りました」などと大きな反響があった。日本人観光客に知られた道路名も、実は中国の地名に由来していることがある。

その理由は、第2次大戦後に台湾を統治した国民党政権の行政長官公署が1945年11月に、日本統治の概念を壊すため、当時の道路名の変更を県や市に求めたことが始まりとされる。国史館台湾文献館電子報第258期によると、日本の人物や国威高揚に関連した道路名や明治町、大正町、大和町、朝日町、若松町、朝日町といった明らかに日本風の地名は直ちに改称され、新たな名称には中華民族の精神発揚や三民主義の宣揚、国の偉人などに関する名前が冠されたという。

南部・高雄市中心部を東西に走る道路には南から「一心路」、「二聖路」、「三多路」、「四維路」、「五福路」、「六合路」、「七賢路」、「八徳路」、「九如路」、「十全路」と名付けられている。いずれも中国の古典や偉人、重んじられる思想などに由来する。

台北駅(台北車站)周辺には中国の地名が冠された道路が密集している。北平は北京のこと
台北駅(台北車站)周辺には中国の地名が冠された道路が密集している。北平は北京のこと

▽道路名の改称に賛否両論

しかし、かつて台湾ではびこった権威主義や個人崇拝などに対する反省から、このような中国に関連する名称が冠された一部の道路名の改称を求める声も少なくない。

陳水扁(ちんすいへん)台北市長時代(94~98年)の96年には総統府前の「介寿路」が、「蒋介石氏の誕生日を祝う」という意味が込められた権威主義の象徴だとして、漢族入植以前に台北盆地で暮らしていた台湾原住民(先住民)族ケタガラン族に敬意を示す「ケタガラン(凱達格蘭)大道」に改称された。興味深いのは、国民党所属の市議からも同市内にある「中山」や「中正」などの名前が冠された道路名の変更を求める声が上がっていた点だ。だが党内では反対の意見も根強く、結果的にこの時に改称されたのは介寿路だけだった。

大型集会やイベントの会場にもなる総統府前のケタガラン大道は、かつて蒋介石元総統の誕生日を祝う意味が込められた「介寿路」という名称だった
大型集会やイベントの会場にもなる総統府前のケタガラン大道は、かつて蒋介石元総統の誕生日を祝う意味が込められた「介寿路」という名称だった

民進党が初めて政権を握った陳水扁政権(2000~08年)下の03年には、同党の複数の立法委員(国会議員)が、政治イデオロギーによって中国の地名が冠された例が非常に多いなどとして台北市と高雄市に道路名の改称を要求。23年には市民団体「移除中正路行動聯盟」が、蒋介石(しょうかいせき)元総統の名を冠した「中正路」は台湾全土に316本あるとした上で、権威主義による統治の象徴だとして改称を政府に求めた。しかし、いずれも大きな結果は出ていない。改称に伴う影響を考慮し、消極的な立場を示す政治家や自治体が多いためだ。

07年には当時の野党・国民党の呉敦義(ごとんぎ)秘書長が、道路名の改称には戸籍や身分証、各種請求書、銀行口座などの住所登録の一斉変更が必要となり、市民の負担になると発言。「中正路」の改称機運が高まった25年には中部・台中市政府民政局が市内に「中正路」は7本、「中正街」は5本、「中山路」は27本あるとしつつも、仮に道路名を変更した場合、9万人以上が身分証を更新しなくてはならなくなると指摘した。南部・屏東県の黄明賢県議会議員(国民党)も、改称に必要な経済的・人的コストの大きさを問題視する。

とはいえ、12年には互いにつながりながらも「中正路」、「台中港路」、「中棲路」と区間によって分かれていた台中市内の道路名が「台湾大道」に統一された。また13年には市内に19本の「中山路」があった北部・新北市で三重区、新荘区、泰山区の「中山路」が「新北大道」に改称された。これらは政治的理由というよりも実用性を重視した結果ではあるが、道路名の改称が全くできないというわけではなさそうだ。

17年に施行された移行期の正義促進条例では、公共施設や場所で、権威主義体制の指導者を記念し、しのぶ象徴は全て排除や改称またはその他の措置を講じるべきだと定めている。その一方で内政部(内務省)は、実際の道路名変更は地方政府が取り組むものだとの立場を示すとともに、地元住民への影響も大きいとし、まず国と地方、住民らの3者間での合意形成を求めている。

(齊藤啓介)

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