1. 事件の勃発と全島への拡大(1947年2月)
• 1947年2月27日: 台北市で闇たばこの取締官が民間人を負傷させ、混乱の中で無関係の台湾人が射殺される。
• 2月28日: 事件に対する抗議デモが起こり、衛兵がデモ隊に対し機関銃で発砲。多数の死傷者を出したことがラジオで拡散され、抗議活動が台湾全土へ拡大。
2. 武力鎮圧と白色テロ(1947年3月〜90年代初頭)
• 1947年3月1日〜: 台湾人による事件の処理委員会が結成され、政治改革を要求。一方、台湾省行政長官だった陳儀は中国本土に軍の増援を要請。
• 3月8日〜: 中国からの軍が台湾に上陸し、武力鎮圧を開始。大規模な武力衝突が起こり、多くの市民が犠牲となる。
• 3月10日〜: 台湾全土に戒厳令が敷かれ、処理委員会などは解散させられる。残党狩りや戸口調査が実施され、多くの知識人や市民が逮捕・殺害される。
• 5月16日: 台湾省政府が発足し、戒厳令を解除。
• 1949年 5月20日: 国共内戦で敗れ、台湾に移った国民党政権により再び戒厳令が施行される。新たな政党の結成が禁止されるなど、出版、結社、言論などの人権を厳しく制限する「白色テロ」が続いた。
• 1987年7月15日:蒋経国総統が戒厳令を解除。• 1991年5月22日 :国家暴力の法的根拠となった「懲治叛乱条例」が廃止される。
3. 真相究明と名誉回復への動き(1987年〜94年)
• 1987年: 鄭南榕らが「二二八和平日促進会」を設立。事件の真相究明と被害者の名誉回復を求める。
• 1989年: 南部・嘉義市に台湾初の二二八記念碑が建立される。• 1991年〜1992年: 行政院に調査チームが設置され、初の公式調査報告書が公開される。
4. 政府による公式謝罪と移行期の正義(1995年〜)
• 1995年: 李登輝総統が政府を代表して公式に謝罪。また「二二八事件処理及び補償条例」が可決され、補償金支給の申請受け付けが始まる。
• 1997年: 2月28日が「和平記念日」として国定休日(祝日)に定められ、台北市に「台北二二八記念館」が開館。
• 2016年: 日本人犠牲者、青山恵先さんの遺族に対する賠償金の支払いが認められ、外国人犠牲者遺族への賠償が決まった初のケースとなった。
• 2017年:「移行期の正義促進条例」が施行。過去の権威主義的な統治の下で行われた不当な人権侵害についての真相究明と被害者の名誉回復、加害者の責任究明が進められている。
(編集:楊千慧)