3月3日、台湾各地で大規模な停電が発生した。台湾電力(台電)は南部・高雄市にある興達発電所の設備が故障したことが原因と説明。王美花(おうびか)経済部長(経済相)は人為的ミスによる停電だったと発表した。
労働節(メーデー)に当たる5月1日、台湾鉄路管理局(台鉄)の法人化を目指す政府による改革案への抗議として、事実上のストライキが決行された。出勤した運転手は約10人のみで、臨時列車や代替輸送のためのバスなどが運行された。北部・新北市樹林の操車場にはさまざまな列車がとどまった。
4月から5月にかけて、新型コロナウイルスのオミクロン株の流行がピークに達した。4月28日には国内の新規感染者数が初めて1万人を超え、5月27日には9万4808人と過去最多を更新。経済にも打撃を与えた。
安倍晋三元首相が7月8日に亡くなった。親台湾派として知られた安倍氏の死去は台湾社会に大きな衝撃を与え、追悼する動きが広がった。日本の対台湾窓口機関、日本台湾交流協会台北事務所のそばに設置されたメッセージボードには多くの人々が追悼や感謝の思いをつづった。
米国のナンシー・ペロシ下院議長(中央左)が8月2日に訪台。台湾を訪れた米国の要人として過去25年で最高位となった。滞在期間中には蔡英文(さいえいぶん)総統(中央右)と会談し、立法院(国会)も訪れた。これに反発した中国は台湾周辺で大規模な軍事演習を実施した。
新型コロナウイルスの感染状況が落ち着き、展覧会などのイベントは少しずつにぎわいを取り戻した。台南市美術館では6月25日から10月16日にかけて特別展「アジアの地獄と幽霊展」を開催し話題を集めた。
9月18日、東部・台東県池上を震源とするマグニチュード(M)6.8の地震が発生。台東の陸地を震源とする地震の規模としては観測史上最大で、ビルが倒壊したり、橋が崩れたりする被害が出た。死者1人、負傷者171人。
中華民国の建国記念日「双十国慶節」の祝賀式典が10月10日に台北で催され、京都橘高校吹奏楽部がパフォーマンスを披露した。今年は日本の対台湾窓口機関、日本台湾交流協会が設立された1972年から50年の節目に当たり、「台日友情50周年」の記念として招かれた同校。一糸乱れぬ行進、迫力ある演奏、元気溢れる笑顔で台湾の人々を魅了した。
米プロバスケットボールNBAでプレーしたドワイト・ハワード(右)が11月、台湾のプロバスケットボールプロチーム、桃園レオパーズ(桃園雲豹)と契約。台湾のファンから歓喜の声が上がった。11月19日には初めて試合に出場。延長の末、レオパーズが勝利した。
統一地方選挙が11月26日、投開票された(嘉義市長選のみ候補者の死去により12月18日に延期)。首長選では最大野党・国民党が躍進し、注目されていた台北市も同党のホープ、蔣万安(しょうばんあん)氏(手前)が勝利した。与党・民進党の蔡英文(さいえいぶん)総統は、大敗の責任を取るとして兼務していた党主席(党首)を辞任した。
(編集:楊千慧)