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日本時代の台湾で生活 日本人男性が訪台 恩人の子孫探す

出生地の戸政事務所を訪れる石津宏さん(中央)=3月12日、台中市
出生地の戸政事務所を訪れる石津宏さん(中央)=3月12日、台中市

(台中中央社)日本統治時代の台湾で幼少期を過ごした日本人男性が台湾を訪れ、太平洋戦争中に疎開先で一家をもてなしてくれた人の子孫を探している。

訪台したのは石津宏さん。日本時代に現在の中部・台中市中区で産婦人科医院を開いていた石津坂一を父親に持つ。12日には中区の戸政事務所(戸籍業務を担当する事務所)で当時の戸籍資料の交付を申請した。

今年初めには台中の文化や歴史を研究する団体「台中文史復興組合」のメンバーが山口県を訪問し、宏さんに聞き取り調査を行った他、石津家に残されていた幕末から日本時代にかけてのアルバムを借り、台湾でデジタル保存した。

同組合の設立者、グリュックさんによれば、坂一は台湾総督府台北医学専門学校を卒業後、「石津産婦人科医院」を開業。医療施設兼住宅は書院造りで21部屋の病室があった。

宏さんは、7歳の頃に空襲を避けるため、市街地から徒歩で約1時間の「大突寮」(現在の大里区大突寮と推定)に疎開。川のそばに坂一が平屋の住宅を建てると、物資が不足する中、地元の人が豪華な台湾料理でもてなしてくれたことが思い出に残っていると話す。川では網を投げて魚を取ることができた他、付近ではカモが飼われていたという。

だが、一家をもてなしてくれた人のその後は分かっていない。「台中はふるさと」だと語る宏さんは、今回の訪台でその人の子孫を見つけ、感謝の気持ちを直接伝えたいとしている。

グリュックさんは、恩人の子孫や石津産婦人科医院の思い出がある人は同組合に連絡してほしいと呼びかけている。

(蘇木春/編集:齊藤啓介)

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影片來源:中央社中部地方組
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