文化+/地元民が寄りつかない入り江に「陸の青い涙」を展示 芸術の力でイメージ変える<文化+>

2022/03/22 17:08
離島・馬祖で2月12日から4月10日まで開かれる芸術イベント「MATSU BIENNAL」に登場した「陸の青い涙」(MATSU BIENNAL提供)
離島・馬祖で2月12日から4月10日まで開かれる芸術イベント「MATSU BIENNAL」に登場した「陸の青い涙」(MATSU BIENNAL提供)

台湾本島・基隆から西北西に約210キロ、台北から飛行機で約50分の場所にある離島・馬祖。海が青く光る神秘的な光景「青い涙」(藍眼涙)が見られる毎年4月からの観光シーズンには、絶景を一目見ようと多くの観光客がこの地を訪れる。

5つ丸の島からなる馬祖列島の南部に位置する東莒島には「神秘小海湾」(神秘の湾)と呼ばれる入り江がある。この場所には戦地の記憶によって恐怖の伝説が残り、地元住民は立ち寄ろうとしない。ほとんど忘れ去られた状態で、ビーチは流れ着いた大量の海洋ごみで溢れかえっていた。

ごみを再利用した作品の制作を得意とする楊芳宜さんが様々な芸術家とコラボレーションする実験的プロジェクト「NO!W Across Lab」(不廃跨村実験室)は、2月12日から4月10日まで馬祖を舞台に開かれる芸術イベント「MATSU BIENNAL」(馬祖国際芸術島)での作品展示場所の一つとして、神秘の湾を選んだ。ごみによってこの地の呪いを解き、地元住民が再びこの地に足を踏み入れる理由を作ったのだ。

※本記事は中央社の隔週特集「文化+」の「環境再生》『不廢跨村實驗室』打造陸地上的藍眼淚 翻轉神祕小海灣」を編集翻訳したものです。

▽すぐそばに火葬場 美しい入り江に影を落とす

神秘の湾が住民が立ち寄らない不毛の地になったのは、両岸(台湾と中国)情勢と大きな関係がある。国共内戦時、馬祖では軍が戦地の政務を一元化する「戦地政務」の実験が行われ、各島には軍の火葬場が設置された。そして東莒島の火葬場があったのが、神秘の湾のビーチの入り口だった。

神秘の湾のビーチから海を眺めると両脇を岸壁に囲まれ、砂時計状の地形が形成されている。隠蔽性が高く、両岸の各種制限が緩和された初期には、住民が密輸取引を行う地点となっていた。

闇取引の複雑さや火葬場で人生の幕を下ろした無数の生命によって、地元住民はこの神秘の湾に恐れを抱くようになり、美しい風景も次第に忘れ去られていった。「あの神秘の湾に行ってはならない」という言い伝えは変わらず住民の心に刻まれていたのだった。

▽一度目にしたら忘れ難い景色

神秘の湾を舞台にした芸術作品「Have an ISLAND SEAT」(島塑椅)王宝児撮影
神秘の湾を舞台にした芸術作品「Have an ISLAND SEAT」(島塑椅)王宝児撮影

神秘の湾を舞台にした芸術作品「Have an ISLAND SEAT」(島塑椅)は、楊芳宜さんと林俊作さんが主に手掛けた。楊さんは2019年、新竹美学館の招きにより、東莒島に滞在して創作活動を行ったことがある。

楊さんはその際、東莒島で街づくりに携わる陳泳翰さんの紹介で、神秘の湾を初めて訪れた。「一目でその素晴らしい海の風景に圧倒されました。でも、ごみもとても多かったのです。特に多かったのはシーグラスで、緑色や茶色のかけらがあちこちに積もっていました。それからペットボトルや発泡スチロールも見かけました」

他の港でも多くのごみを目にした。小さな島では、現地でごみを処理することができず、船で台湾本島まで運ぶしかない。楊さんは大きな衝撃を受けた。「だから作品をごみだけで作ることにしたのです」

昨年10月の下見の際、東莒島を訪れた楊さんは神秘の湾の美しい海を思い出し、ここを展示場所にすることを提案した。だが、地元住民の反応は予想に反するものだった。「いつもは私たちを応援してくれて、比較的前衛的な考え方の住民からも反対されました。最も多く聞かれた意見は、作品をそこに置いても『地元民さえ行かない』というものでした」。この反応に楊さんらは戸惑い、場所を変更しようとまで思ったという。

だが、陳さんが住民に話したある物語によって、住民らの不安は解きほぐされた。

▽大浦集落の物語で住民を説得

その物語というのは、大浦集落の物語だった。

大浦集落は東莒島でかつて2番目に人口が密集している地域だった。一時は200人余りがここで暮らしていたが、戦地政務の解除後、なぜかは分からないが漁獲量が激減し、住民が急速に転出していった。

陳さんによれば、当時は台湾経済がまさに飛躍を遂げている時だった。住民が徐々に去り、最後の一人の住民が病を苦に自ら命を絶って以降は無人の集落となっていた。これがおおよそ20世紀末のことだ。

東莒島の風景(MATSU BIENNAL提供)
東莒島の風景(MATSU BIENNAL提供)

それからしばらく、集落は時代に取り残されたかのようだった。閩東式の民家はその土地にぼうっととどまり、石は職務を全うするかのごとく屋根の瓦にどっしりと鎮座し、雨にも風にも負けず家主の帰りを待っていた。

だが、誰も住んでいなかったからこそ、これらの建物は現代化されたコンクリート建築にならずに済み、本来の姿を保つことができた。そのおかげで貴重な文化資産として役所から注目されるようになった。その後、地方政府と協力し、芸術家を滞在させる「アーティスト・イン・レジデンス」のプロジェクトが進められるようになった。そして、この荒れ果てた集落に新たなチャンスが生まれた。

2009年に集落に滞在した芸術家、蔡英傑さんの壁画は、今では東莒島のランドマークともなり、人々は街を再生させる上での芸術の大きな力に気付いたのだった。

東莒島のランドマークになった蔡英傑さんの壁画(王宝児撮影)
東莒島のランドマークになった蔡英傑さんの壁画(王宝児撮影)

▽ごみを集めて陸の「青い涙」を作る

陳さんは当時、「神秘の湾は昔の大浦集落のようなのだ」ということを地元住民に優しく、そして力強く伝えたのだと楊さんは振り返る。

陳さんの話を聞いて以降、住民は神秘の湾を作品の展示場所とすることに頑なに反対することはなくなった。楊さんと林さんは制作チームを率いてビーチの清掃から着手し、廃棄されたタコかごや流木、ペットボトル、漁網などを集めた。そしてこれらのごみを使い、訪れた人がその上に座って海を眺められる「陸の青の涙」を制作した。

絡まった漁網をほどいて、青、黄、緑などの色ごとに分類し、ひたすら編んでいく。青を中心に使うこと以外はそれぞれが自由に円状にひもを編んでいき、花びらのようなチェアパッドを作り上げた。

ごみで作り上げた椅子(楊芳宜さん提供)
ごみで作り上げた椅子(楊芳宜さん提供)

椅子の構造においては、林さんが設計を担当した。馬祖の民家には座面が細長く、座ると爪先がギリギリ床につくほどの珍しい高さのスツールがよくあることに気付いた林さんは、住民にそのスツールについて尋ねてみた。そこで初めて、かつては物資が不足していたために、多目的に使えるようにとの理由でそのような設計になっていたことを知った。座ることもできるし、いくつか並べてベッドにすることもできる。そのため、あんなに変わった高さになっていたのだった。

制作チームはペットボトルのかけらを火で軟らかくし、縄として椅子の脚を組むのに使った。そして、流木を用い、馬祖の民家でよく見られる椅子を模して作った。このほかにも、タコかごを台座として砂浜にはめ込み、人々が海をより近くで感じられるようにした。

▽地域住民に参加を呼び掛け 展示に使った椅子の持ち主に

ごみを処理できない小さな島では、ほんのわずかの廃棄物でも全て、地域にとっては負担となる。

制作チームは、作品を「『取っておいてもどうしようもないけれど、捨てるのももったいない』という芸術祭のごみにはしたくない」との思いから、ある取り組みを行った。それは、地域住民にこれらの椅子に名前を付けてもらい、芸術イベント終了後にそれを持ち帰ってもらう―というものだった。

これにより、神秘の湾の姿を忘れかけていた住民たちは、長い時を経て久しぶりにこの砂浜に足を踏み入れたのだった。

椅子に腰掛けると、海をより近くに感じることができる(MATSU BIENNAL提供)
椅子に腰掛けると、海をより近くに感じることができる(MATSU BIENNAL提供)

当日準備した20脚の椅子には全て受け取り手が付いた。「とても感動しました。よそから来た人としての視点を地元の人にお裾分けすることができたと感じました」と楊さんは興奮気味に語る。「少し前に地元の人に尋ねてみたことがあるのですが、実は全ての人が怖い伝説を具体的に聞いたことがあるわけではなく、みんなが互いに警告し合ったからこそ、神秘の海は入ってはならない場所になり、日の目を見る機会を失っていたのです」

地元住民からは「作品をイベント終了後もしばらくその場に残してくれないか」との声も上がっているという。「観光客に紹介したいからです。役所の人がまるできれいな花を世話するかのように定期的に掃除をしに来てくれています。環境全体の向上にもつながっています」と陳さんは話した。

(王宝児/編集:名切千絵)

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