<文化+>宜蘭をより良く 「田中央」で追う理想 建築家・黄声遠さん

2022/01/12 18:30
建築家の黄声遠さん(田中央工作群提供)
建築家の黄声遠さん(田中央工作群提供)

「最も重要なのは、いつでも人なんだ」。こう話すのは、建築家の黄声遠さんだ。

北東部・宜蘭を拠点に活動する黄さん。米国での留学を終えて帰国した後、友人の誘いで県のプロジェクトに携わったのを機に、宜蘭に根を下ろした。黄さんを慕う若者が集まる「田中央工作群(Fieldoffice Architects)」を率い、数々の公共建築を手掛けてきた。

文化や芸術での功績をたたえる「国家文芸奨」を受賞したほか、外国人として初めて「吉阪隆正賞」に輝いた。田中央が20年間で手掛けた宜蘭駅前の「ジミー(幾米)広場」、文化施設「羅東文化工場」、観光案内所であり展示空間でもある「壮囲沙丘旅遊服務園区」などは、いずれも人々を魅了してやまないスポットだ。

宜蘭駅前のジミー(幾米)広場(中央社資料写真)
宜蘭駅前のジミー(幾米)広場(中央社資料写真)

▽宜蘭に来たら、痛まなくなった頭

黄さんは田中央の始まりについてこう説明する。「1989年、革新や自由を求めて米国に旅立ったものの、答えを見つけられず帰国した台北の青年が、大学時代の友人からの一本の電話をきっかけに、宜蘭に拠点を置き、地元民から建築とは何かを学んでいったんだ…」

留学前、台北で暮らしていた日々は、毎日頭が痛かったという。都会での生活でストレスを感じていたのか、あるいは未来に対する不安から来るものだったのか。それが、宜蘭に来た途端、痛まなくなった。

友人から電話で受けた相談は、宜蘭県政府の演芸ホールの設計に関するものだった。会議を取り仕切っていたのは現立法院長(国会議長)で当時、県長だった游錫堃(ゆうしゃくこん)氏。黄さんについて「あの若者は誰だ?今後は会議に呼ぶように」と周りに話したという。「生意気なガキだと思われただろうな。会議に刺激が欲しかったのかもしれない」と黄さんは笑う。

政府機関がどのように運営しているのか、誰が高官なのか、全く分かっていなかった。パソコンやインターネットも発達しておらず、書類を1つ作るのにも手探りだった。「勇気はあったけど、向こう見ずという状態」。一方で、「毎日、泳いだり、温泉に漬かったり。良い山とおいしい水があって、自由自在な感じ。こんな生活が結構気に入った」

宜蘭という土地にほれ込んだ黄さん。当時、国民党が圧倒的に優勢だった中、国民党以外の政治家が台頭したことから「民主主義の聖地」とも呼ばれた宜蘭の「反骨精神」にも影響を受けた。世代や専門にとらわれることさえなければ、どんな小さな場所でも変えることができる。それが、バスケットコートや排水溝だとしても、施主を見つけ、自由に創造できる―と黄さんは考える。

宜蘭の人々は心が広いという。歴史や地理の専門家らは皆、黄さんを受け入れ、宜蘭について快く教えてくれた。その後、さまざまなプロジェクトの審査員や委員を務める機会に恵まれ、宜蘭をより深く知ることができ、「田中央」のプロジェクトにつながっていった。

▽都市に余白を 「日陰棚」から着想得た景観づくり

台湾では至る所で日陰棚が見られると黄さんは話す。コストがかからず、合法と違法の間、いわゆるグレーゾーンな存在だ。簡単な作りで、撤去されても気にならない。そして、それが巨大化されれば都市の中では、さまざまな機能を発揮させる。雨や風を防ぐ以外にも、多様な可能性を持つ。決して単一の機能に縛られることのない「余白」が、市民が求める公共性への期待に応えることにつながるのだ。

羅東文化工場(中央左)と周辺一帯の町並み(田中央工作群提供)
羅東文化工場(中央左)と周辺一帯の町並み(田中央工作群提供)

その端的な例が、羅東文化工場に設置された大きな日陰棚だ。建物を包み込むようにそびえ立ち、その下には光と影が織りなす模様がゆらゆら揺れる。人々はここで、街との関係を見つめ直すのだろう。

▽宜蘭を走る3本の「維管束」 人々の記憶を凝縮

「維管束」プロジェクトも、黄さんたちが20年間、宜蘭で模索し続けた結果の産物と言える。街を流れる宜蘭河と、古くから発展を遂げてきた「旧城エリア」を基礎に、各地を茎と葉に見立て、植物を貫き水分や養分を運ぶ維管束のようにこれらをつないだ。

宜蘭河から延びるように3本走る「維管束」。1本目は、宜蘭河のエネルギーを旧市街や新たな生活エリアとつなげた。歩道を整備し、樹木を植え、人々が語り合う空間を設けることは、サステナブルな街づくりの形を体現したものとも言える。建築を通じて、空間を再定義したのだ。

2本目は、宜蘭河から延び、学校や酒造工場、旧市街の産業エリアを通り、宜蘭駅前まで続く。宜蘭出身の絵本作家、ジミー(幾米)さんの世界観を表現した宜蘭駅前の広場も含まれる

3本目は、人口密度が高い文教地区を貫く。小学校から大学まで、さまざまな教育機関や文化センターが集まり、これらは都市の基礎となる施設とも言える。

宜蘭を走る3本の「維管束」(田中央工作群提供)
宜蘭を走る3本の「維管束」(田中央工作群提供)

▽永遠に諦めない 問題解決の糸口探り続けて

田中央は、誰かのために問題が解決できないかと常に考えていると黄さんは語る。他人の問題は、自身とその周りの人々の問題でもあるからだ。「私たちの信念は、どんなに小さな願いも等しく重要だということ。どんなに取るに足らなくて困難なものでも、私たちは向き合い、解決しようとする」

ただ、このような考えは心身の消耗も激しい。「われわれが掲げる『時間と友達になる』というのは非常にロマンチックに聞こえる。だが、実際には少し悲しいことなんだ。涙をのんで、顔で突き進む感じかな」。決して成功でないが、失敗とも言えない微妙な状態を受け入れなければならないことが多くある。それでも努力を続けると、「時間と友達になる」ということが自然と分かるようになるのだという。

「時間がたつと、初心を忘れてしまうことがよくある」とも話す黄さん。「予定された何かをやり遂げようとそれで頭がいっぱいになってしまう。でも、何事も計画通りにやろうと焦ってはいけないんだ」。何でも調整は可能と受け入れる気持ちがあれば、最終目標に向けて前進できるチャンスも他人より増える。

▽悲観する暇はない 忍耐と責任を全うすることが最も大切

田中央が手にできる資源が他の事務所より特別多いということはない。「われわれが携わっているものの多くは公共施設のプロジェクト。つまり、法律にのっとって進めなければならない」。それでも時間と力を注げるのは、解決の糸口を探し出そうとし続けるからだ。それには寛容と、早く切り上げようとしないことが大事。やり続けることで、資源も徐々に集まってくるのだという。

羅東文化工場は完成まで14年かかった。「われわれの作業が遅かったわけではなく、外部の条件があまりにもねじ曲がっていたんだ」。黄さんは嘆く。「青年たちが期待する公平で正義な社会が未来の世代に託すべき条件に合ってなさ過ぎた。でも、これこそが多くの人が目にする現状でもあるんだ」

公共施設のプロジェクトを進める上でのやるせなさと現実にため息をつく黄さん。ただ、諦めることは決してなかった。

2018年にフランスで開催した特別展の展示(田中央工作群提供)
2018年にフランスで開催した特別展の展示(田中央工作群提供)

「最もやるべきことは、屈辱に耐え、責任を果たすこと」。何事にも対処しようと力を尽くす黄さん。政治的なしがらみにとらわれたとしても、改善すべきことは他に山ほどある。誰が勝ったとか、正しいでもなく、土地を間違った形で使わないことが最も大事だという。

そのためには、まずは介入し、寄り添う。応募した設計コンペが必ずしも手掛けたいプロジェクトだとは限らない。ただ、誤った方向に進んでしまうことを黄さんたちは案じている。「まずは中に入る。それで初めて、決定権を持つ人と話をする立場になれる」

台湾ではやればやるほど、誤った方向に進んでしまうことが多いと漏らす黄さん。美しかった場所をテーマパークにしてしまったり、ひっそりとした味のある小道を広げてしまったり…。「説教でやめさせようとしても、成功しない。法治国家だから、合法的にプロジェクトに参加して、この立場を利用するんだ」。発注者と話ができれば、価値観やビジョンを共有する機会を得られる。

田中央が歩んできた道は決して平坦ではなかった。ただ自由であり続け、注げる力は全て注ぎ、諦めずに進んできた。「成功ばかりとは決して言えないけど、失敗でもない。それだけのことなんだ。でも、多くの人の励ましにはなってるだろ?」

(邱祖胤/編集:楊千慧)

※本記事は中央社の隔週連載「文化+」の「譲毎一件事情『無差別』変好 黄声遠站在『田中央』実践理想」を翻訳編集したものです。

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