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民進党40周年 戒厳令下での結党、当時の関係者が回顧 謝長廷氏は「遺書」も/台湾

2026/09/28 14:47
中央社のインタビューに応じた游錫堃(ゆうしゃくこん)前立法院長(国会議長)=中央社記者張皓安撮影
中央社のインタビューに応じた游錫堃(ゆうしゃくこん)前立法院長(国会議長)=中央社記者張皓安撮影

(台北中央社)与党・民進党は28日、結党から40年を迎えた。結党当時の台湾は国民党による一党支配体制下で戒厳令が敷かれており、政党の結成が禁じられていたため、反対勢力は「党外」と呼ばれていた。結党に関わった游錫堃(ゆうしゃくこん)前立法院長(国会議長)や台湾の対日窓口機関「台湾日本関係協会」の謝長廷(しゃちょうてい)会長、当時の党外運動に加わった許信良(きょしんりょう)元党主席(党首)らがこのほど、中央社のインタビューで当時を振り返った。

▽美麗島事件や林一家殺害事件、結党の意志をくじく

国民党政権は1949年、国共内戦の情勢を受けて戒厳令を公布。87年に解除されるまで、政党結成や集会、デモ行進などが禁じられ、人々の権利が大きく制限された他、「白色テロ」と呼ばれる政治的弾圧も行われた。

79年には許氏らが党外雑誌「美麗島雑誌」を創刊。同年に南部・高雄で講演会やデモ行進を行い、政府に戒厳令解除や政党結成の解禁などを求めた。だが警察との衝突があったこの活動を政府は「暴力事件」と認定。主要メンバーが軍事裁判にかけられ、無期懲役などの重い刑が言い渡された。一連の出来事は「美麗島事件」と呼ばれている。

さらに80年には、美麗島事件で逮捕されて拘置所に収容されていた林義雄(りんぎゆう)氏の母親と娘2人が、台北の自宅で何者かに殺害される事件(現在も未解決)もあった。

許氏は「党外の人々は美麗島雑誌を通じて『党名のない党』を作ろうとしていた。だが美麗島事件の一斉逮捕や林氏一家殺人事件が、人々の政党結成への意志を大きくくじいた」と語る。

▽秘密裏の結党準備 「政治犯の家族」の力も

86年7月、党外の人々が結党について秘密裏に協議を始めた。游氏や謝氏、後に監察院長などを務めた陳菊(ちんきく)氏ら10人が、党の綱領や結党宣言などを作成した。家族にも口外しなかったという。

話し合いは、民進党結成後に党主席などを歴任することになる姚嘉文(ようかぶん)氏の妻、周清玉(しゅうせいぎょく)氏の自宅で行われた。周氏は美麗島事件で収容された姚氏の意志を継ぎ、80年の国民大会代表(当時の国会議員)を決める選挙に出馬して当選していた。

グループは、結党のタイミングを「選挙前」に決めた。游氏は、周氏のような「政治犯の家族」が選挙で高い支持を得ていたことを踏まえ「選挙前に結党を発表すれば、政府が逮捕に動いても、家族が出馬して高得票率で当選できる可能性さえある。逮捕されなければ、党外の人々は新党の名で選挙に出られる」と話した。

▽1986年9月28日、円山大飯店で「民主進歩党」が誕生

年末に国民大会代表と立法委員の増員選挙を控えていた同年9月28日、「党外選挙後援会」が会員大会推薦大会を開いた。会場は台北の円山大飯店(グランドホテル台北)。国民党政権が外国の要人をもてなすために建設した、党派色の濃い同ホテルを選んだ理由の一つとして、游氏は「灯台下暗し」を挙げた。

当初、結党は予定されていた議題に含まれていなかった。だが前日午後の会議で游氏が「明日が絶好のタイミングだ」と繰り返し主張し、結党を正式に話し合うことが決まった。

大会当日、結党を求める臨時動議が提出された。謝氏によれば「こんなのは子供の遊びだ」「まず準備委員会を作るべき」といった反対意見も出たという。

会場では、発起人への署名を求めるため白紙が回された。署名を拒む人や、署名を終えるとすぐに会場を後にする人もいた。游氏は当時の状況について、会場には恐怖感が充満していたと振り返り、「それこそ人間らしい反応だったと思う」と語った。

その後、新党の名称をめぐって社会民主党や台湾民主党、中国民主党などの案が出され、最終的に謝氏が提案した民主進歩党が採用された。

こうして結党が決まり、午後6時6分、記者会見で民主進歩党の結成が発表された。

▽謝長廷氏は「遺書」、游錫堃氏は家族呼び寄せ

結党を前に、謝氏は職場の法律事務所に遺書を残し、犠牲になる覚悟をしていた。妻には日ごろから「人は時に、旅行中や飛行機に乗っている時に事故に遭うこともある。人生とは無常なものだ」と伝えていた。

一方、游氏は結党前日の27日、妻と2人の子どもを台北の議員会館に呼び寄せて一夜を共に過ごした。政府が関係者の逮捕に踏み切っても、近くにいれば家族に別れを告げられるとも考えたという。

結党後も、政府が逮捕に動くか分からない状態が続いた。游氏は、結党発表からの10日間が「最も危険で、最も重要な時間だった」と振り返る。10月7日、当時の蒋経国(しょうけいこく)総統が米紙のインタビューで「反対党は政治過程の一種の現象にすぎない」と述べたことで、結党に関わった人々はようやく胸をなで下ろしたという。

この後、台湾は戒厳令解除や国会の全面改選、総統直接選挙と民主化の歩みを進めることとなった。民進党は2000年に初めて政権を獲得。08年には国民党に政権を明け渡すも、16年には再び与党となり、現在に至る。

(葉素萍、王揚宇、温貴香、蔡素蓉/編集:田中宏樹)

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