(金門中央社)中国大陸に程近い金門島古寧村で20日、国共内戦中に起こった「古寧頭戦役」で命を落とした軍人たちを慰霊する「路祭」が営まれた。村民は例年通り、村の交差点や海岸にさまざまな供え物や紙銭などを並べ、線香をたいて国共両軍の戦没者を弔った。
国共内戦下にあった1949年10月25日、金門島の奪取を狙った中国人民解放軍が同島の北西端に位置する古寧頭に上陸。これを国軍が撃退したが、数日間にわたる激しい戦いが繰り広げられた古寧頭一帯には両軍から膨大な死傷者が出た。
路祭は、地元の守護神「関帝(関羽)」のお告げによって、毎年旧暦7月8日(今年は8月20日)に営まれるようになったと伝えられている。旧暦7月は台湾では「鬼月」と呼ばれ、「あの世の門が開き、先祖や無縁仏がこの世に帰ってくる月」とされている。
村長を務めた経験を持つ李朝金さん(87)は、路祭を行う前、村では良くないことが度々起きていたと話す。「戦没者を弔うようになってからは村が平和になった」という。
古寧頭がある金門の北西部には戦死した兵士を祭る「将軍廟(びょう)」も多く見られる。民間信仰に詳しい金門大の王宏男・兼任助理教授(助教)によると、古寧頭戦役後に兵士の遺骨が田畑のあぜ道などに散乱しており、いたたまれなくなった農民たちが資金を出し合い、廟を建てて供養したとされる。
王氏は、金門には数多くの戦いが繰り返された戦地としての特殊な歴史的背景があるとした上で、海岸沿いに立ち並ぶ将軍廟は戦没者の慰霊と地域の安寧を願って建立されたものだと指摘。将軍廟や路祭は金門独特の「戦地信仰」の景観を形作っていると説明した。