亡き妻へ捧げる追想記の翻訳版を台湾で出版 川本三郎さんインタビュー

2021/11/19 13:37
「いまも、君を想う」の中国語翻訳版を手に持つ川本三郎さん=新経典文化提供
「いまも、君を想う」の中国語翻訳版を手に持つ川本三郎さん=新経典文化提供

(台北中央社)評論家の川本三郎さんが亡き妻に捧げた追想記「いまも、君を想う」の中国語翻訳版が先月下旬、台湾で出版された。日本で単行本として出版されてから11年の時を経て台湾の読者のもとに届けられた。執筆時のエピソードや妻との思い出、台湾への思いなどについて川本さんにリモート形式で話を聞いた。

▽ 恵子さんの「人生で一番の旅」は二人で行った台湾旅行

同書には、川本さんと妻の恵子さんの馴れ初めから日常の思い出、病気が発覚して以降の日々のやり取り、心境などが淡々とつづられている。その中には、1992年の正月休みに夫婦で行った台湾旅行の思い出も盛り込まれている。恵子さんは生前、友人から「人生で一番の旅は」と尋ねられた際、川本さんと行った台湾旅行だと答えていたという。

そんな“夫婦の思い出の地”とも言える台湾で同書が出版されることについて川本さんは「感謝しています」と話す。

川本三郎さんと妻の恵子さん。桑原武夫学芸賞の授賞式で=新経典文化提供
川本三郎さんと妻の恵子さん。桑原武夫学芸賞の授賞式で=新経典文化提供

▽ 追想記は「妻への詫び状」

川本さんが35年間連れ添った妻の恵子さんをガンで亡くしたのは2008年6月のこと。川本さんより7つ年下の恵子さんはまだ57歳だった。その後、新潮社の編集者からの声掛けを機に追想記の連載を書くことになった。実際に執筆を始めたのは、恵子さんの逝去から半年ほどが経ってからだった。

「早すぎる気もしたんですけれども、記憶が鮮明なうちに書いておきたいということと、私自身が当時いい年でしたから、死なないうちに書き上げたいという気持ちがありました」

追想記は妻に対する「感謝」のほか、「きちんとしてやれなかったという詫び状」でもあったという。「人間が死ぬというのは大変なことで、死に至るまでの時間はものすごく苦しいものがあるんですよ。死ぬ側もそうだし、看取る側も。だから簡単にその時間から逃れることはできないですよね。物書きという仕事なので、なんとかそれを乗り越えて、書くことで家内が57年生きてきたということを伝えたかったというのがありました」

連載していた一年は辛かったものの、執筆作業は気持ちの整理にもつながった。悲しかったことではなく、楽しかった思い出をなるべく書くようにした。「闘病記とか介護日記にはしたくなかったんですね」。他人に知られたくないものまで書くことは、妻に対して無礼であるような気がしたからだと明かす。

恵子さんは愛知県一宮市出身。実家が繊維工場を経営していたこともあり、幼少期からファッションに興味があった。大学時代に当時新聞社の記者だった川本さんと知り合い、21歳で結婚。結婚後はファッションデザイナーを経て、映画のファッション評論の仕事を始めた。

自身も映画評論家として活躍している川本さん。2人で一緒に映画を観に行った時には、恵子さんの言葉から気付きを得ることも多かったという。「彼女はファッションに非常に気が付くので、いままで私が何度見ていても気付かなかった部分について指摘をくれることがずいぶんありました。たとえば、ある西部劇『シェーン』で男優が女性的なフリルの付いた服を着ていて、『これはいままでの西部劇の男性のファッションとは全く違う』と。私は気が付きませんでしたから、『なるほど。この映画がソフトな感じがするのはそういうところから来ているのか』と分かりました」

追想記の文章からは、夫妻が愛し合い、幸せな結婚生活を送っていたことが伝わってくる。結婚生活を円滑に営む上で心掛けたことはあるのか。「家内の方も仕事を持っていましたし、お互いに仕事についてはあまり立ち入らないようにしていました。それぞれ自分の世界というか、プライベートな時間を持っているわけですから、それをお互いに大事にしようと。それは話し合って決めたわけではありませんが、自然とそういう形になりました。私は一人でローカル線の旅をしたり、下町を歩いたりしていたのですが、ほったらかしてくれましたね。その点は非常に楽でした」。それが結果的には夫婦円満の秘訣になったのではないかと川本さんは振り返る。

台湾で出版された川本三郎さんの作品=新経典文化提供
台湾で出版された川本三郎さんの作品=新経典文化提供

▽ 川本さんと台湾 「足が遠のいていた場所」から「毎年行く場所」に

川本さんの著書が台湾で翻訳出版されるのは同書で6冊目。2011年に「マイ・バック・ページ - ある60年代の物語」が翻訳出版されたのを皮切りに、「『男はつらいよ』を旅する」や「君のいない食卓」などが相次いで刊行された。「マイ~」は2014年のヒマワリ学生運動に参加していた学生たちの間で注目を浴び、これを機に台湾の若い世代の読者を獲得した。台湾の出版社、新経典出版の担当者によれば、川本さんの台湾の読者の中には30代や40代の人も少なくないという。自身よりも年下の台湾人に作品が関心を持たれていることについて、川本さんは「非常にうれしいことですよね」とほほ笑む。

川本さんは2015年に文学関係のイベントで台湾を再訪して以降、毎年1回は台湾に足を運び、各地を旅しているほどの“台湾好き”だ。

だが実は2015年に再訪する前までは、台湾からは足が遠のいていたのだと明かす。「家内と行った時の台湾旅行が非常に楽しかったので、家内が死んでからは逆に行きたくなかったんです。楽しい思い出があるところに自分一人で行くのはなんとなく気が引けて」。

夫婦での旅は全くの観光旅行だったため、現地の人との交流も多くはなく、台湾を深く知ることはなかった。だが、書籍が台湾で出版されるようになってから、台湾の出版社のメンバーと親しい付き合いが生まれ、台湾のことをより深く知るようになったことで、台湾に魅了されるようになっていった。

台湾を訪問して読者と交流する川本三郎さん(右奥)。2019年撮影=新経典文化提供
台湾を訪問して読者と交流する川本三郎さん(右奥)。2019年撮影=新経典文化提供

2019年、南部・屏東でサイン会を開いた際のこと。「小さな町ですから、わたしの本を読んでいる読者はそんなにいないだろうと思っていたら、何人かの方がサイン会に来てくださって、中には2冊も3冊も持ってきてくださった方もいて。その時は本当に感動しましたね。台湾の小さな町にも読者がいるんだと」

台北を歩いていた際には、通りすがりの中年女性4人組から「台湾のこと好きですか」と聞かれ、「好きですよ」と答えると大きく手を振って喜んでくれたこともあったという。

「何よりも、台湾の人が日本のことをすごく好きじゃないですか。それに感動しました」と川本さんは話す。

▽ 北から南、西から東まで台湾各地を訪問

2015年以降の台湾旅行では、台湾中部や南部、東部など多くの地域を巡った。お気に入りの都市を尋ねると「これを言うと台湾の人に驚かれるんですけど」と前置きをした上で「苗栗」と答えた川本さん。鉄道が好きであるため、「苗栗鉄道文物展示館」を訪れたほか、中部・彰化県では扇状の機関車格納庫「扇形庫」、中部・雲林県虎尾では製糖工場の専用線や保存車両を見た。鉄道で台湾を一周したこともあるという。「台湾が日本と似ているのは鉄道がしっかりしているところですよね。時間通りに来るし、台湾にも鉄道ファンが多いでしょ。そのへんにも親近感を持ちますよね」

台湾を毎年訪れていた川本さんだが、新型コロナウイルスの影響で2019年を最後に再訪できていない。次の訪問では「まだ行ってない台東に行ってみたいですね。それから花蓮が良かったので、花蓮も行きたいと思います」と目を輝かせる。日本で今年出版された林育徳の小説「リングサイド 」(擂台旁邊=台湾で2016年出版)が花蓮を舞台としていたこともあり、また行きたいと思ったのだという。

台湾で好きな食べ物は、温かい豆乳の中にいろいろな具材を入れた朝ごはんの鹹豆漿(シェントウジャン)。高級レストランにはあまり行かないと明かす。「街の小さな、おばさんが一人でやってるようなお店に入って食べるのが大好きです」と柔らかな表情を浮かべた。

「日本では台湾についての本がとても多く読まれるようになっているんですよ。新しい本だけではなくて、戦前の作家たちが台湾に渡って、紀行文を書いたりというのが次々と復刻されています」と語る川本さん。台湾に対する関心が非常に強くなっているという。その理由はなんだろうか。「台湾が民主化された、いい国家になっているということがありますよね」

(名切千絵)

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