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台湾の野球専門通訳・李淑芳さん 日本選手から涙ながらに感謝された思い出語る

2025/02/09 18:19
今年3月に行われる交流戦のPRのために訪台した日本ハム・清宮幸太郎選手(右)の通訳を行う李淑芳さん(左)=2024年12月16日、徐肇昌
今年3月に行われる交流戦のPRのために訪台した日本ハム・清宮幸太郎選手(右)の通訳を行う李淑芳さん(左)=2024年12月16日、徐肇昌

「最強の日本語通訳」とたたえられる、野球専門の通訳、李淑芳(りしゅくほう)さん。この道25年で、日本代表が台湾を訪れる際には毎回のように通訳を担当している李さんは、自身の仕事は「コミュニケーション役」や「調整役」と表すほうが近いと話す。このほど中央社の電話取材に応じ、経験を語った。

野球とは無縁の子供時代 通訳ならではの難しさ

大学と大学院で日本語関係を専攻したが、野球に関しては幼いころに少年野球の国際試合をテレビで見たことがあった程度。ニュースメディアに興味があり、学んだことも生かしたいとの思いから、プロ野球関連雑誌の日本語編集の仕事を始めたのが、今の仕事につながるきっかけとなったという。

雑誌の仕事を始めて、一から野球用語を学んだ。2001年のアジア選手権で、初めて国際試合での通訳の仕事を引き受けた。

文章翻訳は比較的簡単で、専門的な用語は調べて訳文を完成させられるが、通訳は即時性が求められるためプレッシャーがとても大きいと吐露する李さん。特に試合中は全神経を集中させなければ訳が出てこないと話した。

日本の選手との思い出 “お金で買えない達成感”も

長いキャリアで最も思い出に残っているのは、09年に台湾で行われた16歳以下の世界野球選手権大会だと振り返る李さん。当時の日本代表には、藤浪晋太郎投手(現マリナーズ傘下)らがいた。大会期間中、何人かの選手がレストランに入っても何も食べずに出てくるのを何度も目にして「食事が口に合わないのでは」と感じた李さんは、コーチの許可を得て、4人の選手を日本料理店に連れて行った。

選手らが日本に戻る準備をしていた日、その4人が目に涙を浮かべて手紙を渡してきた。手紙には、李さんが彼らを連れて行った店で食べた親子丼が「人生で一番おいしい親子丼だった」と書いてあり、それを読んだ李さんは空港で30分は泣いていたという。その後、日本代表の団長から連絡があり、4人の選手も泣きながら日本に戻り、通訳がチームにとって本当に重要な存在だったことを伝えられたと振り返った。

当時、初めて海外に出る中学生の選手もいたため、不安を感じたり不慣れな点があったりすると思い、言語面以外に衣食住のサポートも行った。選手らの不安や問題を解決して試合に専念してもらい、友人づくりの手伝いもしたと話す。この仕事のやりがいは、一通りのアテンドが終わった後に選手たちから「李さん、良い思い出になりました」と言われることで、この喜びや達成感はお金では買えないものだと語った。

適役は少ない 言語以外に必要な能力

日本語を学ぶ台湾人は多い。だが試合の主催者は、国際試合のニーズに合った日本語通訳を見つけるのは難しいとしている。

李さんは、言語能力や野球の専門用語に関する知識だけでなく、臨機応変に対応する力や辛抱強さも重要だと語る。文化の違いを理解することも必要で、野球の国際大会の通訳は想像ほど簡単でなく、努力して初めて信頼が得られるのだと明かした。

昨年11月のプレミア12で、侍ジャパン・井端弘和監督(前列中央)の後ろで通訳を行う李さん=中華民国野球協会提供
昨年11月のプレミア12で、侍ジャパン・井端弘和監督(前列中央)の後ろで通訳を行う李さん=中華民国野球協会提供

(謝静雯/編集:田中宏樹)

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