文化+/鉛筆手に台湾へ 香港人漫画家が絵で訴えるもの<文化+>

2022/03/30 18:58
香港人漫画家の柳広成さんが台北に構えたアトリエ(攝影:裴禛)
香港人漫画家の柳広成さんが台北に構えたアトリエ(攝影:裴禛)

床に座っている大きなカービー人形。テレビの上に目をやると、そこには小さなカービーがいくつも並んでおり、他のフィギュアときれいな列を成している。

「香港から持ってきたんですよ」と漫画家の柳広成さん。両親と暮らしていた頃から欲しいと思っていたといい、大学進学で一人暮らしをするようになってから集め始めた。

柳さんが台北に構えたアトリエは家でもある。薄暗い照明が照らす先を見れば、レールの上を走る汽車の模型があり、机の上にはルービックキューブが。部屋の片隅にある冷蔵庫の上には、けん玉が酒や水と一緒に置いてあった。

そんな遊び心を持つ柳さんが描く漫画は、意外にも鋭い線で構成されており、見る者の感情を強く揺さぶる。そして、人々が目を背けたくなるような現実を描き続けている。

鋭い線で構成された柳さんの絵(攝影:裴禛)
鋭い線で構成された柳さんの絵(攝影:裴禛)

香港で起きた大規模な反中デモ。警察との衝突で女性が右目にけがを負った事件を機に、漫画で時事を取り上げるようになった。闘う市民と、暴力で制圧しようとする警察。香港を脱出する人もいたが、柳さんは台湾への移住計画を延期。他の若者たちと共にとどまることに決めた。

だが、国家安全維持法(国安法)は成立し、施行されてしまった。自由な創作への圧力が強まる中、柳さんも苦しさを感じるようになり、移住は「計画」から「やむを得ない選択」になってしまった。柳さんは台湾に渡り、絵で抗議し続けることを選んだ。

昨年7月、台北の繁華街、林森北路に住み始めた柳さん。この場所を選んだのは「日本に似ているから」だという。

▽日本で過ごした幼少期 思い出の中の漫画、ゲーム、居酒屋

2歳の時、両親の仕事の都合で日本に移り住むことになった。物心がつく頃には日本語で話し、日本の学校に行き、日本の漫画を好んで読んでいた。

柳さん一家は京都で暮らしていた。暗くなると、林立する居酒屋の明かりがともり始め、にぎわうのを見て、中に入ってみたいと思っていたという。台北の林森北路を選んだのも、居酒屋が並ぶ雰囲気に引かれたからだった。

柳さんの心の中で、日本での思い出はきらきら輝いている。学校の授業が終わる時間は早く、宿題も30分ほどで終えられたため、兄と好きなだけ漫画を読んだり、ゲームをしたりして遊ぶことができた。漫画家になりたいという思いが芽生えたのもこの時期だった。

「日本には漫画が本当にたくさんあって、しかも漫画家は日本では大スターのような存在。6歳の時、両親に漫画家になりたいと言ったら応援してくれた」。当時、最もお気に入りだった漫画は「ワンピース」。まずは画風をまねることから始めた。

▽中国に移住 小学生にものしかかる歴史問題

9歳になった年、中国に渡ることになった。自由に「ワンピース」を読むことができなくなった上、友達はおらず、そもそも中国語が話せなかった。

「道でうっかり日本語を話してしまい、知らない人に石を投げ付けられたことがあった」。軽い口ぶりで振り返る柳さん。中国人の強いナショナリズムを感じたという。「テレビをつけると、抗日ドラマがたくさん放送されていた」。熱狂的な雰囲気に包まれており、柳さんという1つの個体を民族の代表とみなして怒りをぶつけてしまうほどだった。

同級生からのいじめは日常茶飯事で、教師に助けを求めると、「お前が日本鬼子(注:日本人に対する蔑称)であるのが悪い。私たちの先祖をあんなに殺して」と冷たく突き放された。

そればかりか、教師は率先して柳さんをいじめた。授業中にかばんを取り上げ、中身をばらまき見せ物にすることさえあった。これらの過去について、驚くほど平然と話す柳さん。自身の過去を暗く考えていることはなく、むしろ人と社会というのは、切り離せないほど密接につながっているものだと学んだのだという。

柳さんの作品集「被消失的香港(仮訳:消された香港)」に収録された絵。自身の体験を描いている。(蓋亜文化提供)
柳さんの作品集「被消失的香港(仮訳:消された香港)」に収録された絵。自身の体験を描いている。(蓋亜文化提供)

中国はなぜこれほどまでに日本を嫌うのか。なぜ自分を攻撃するのか。柳さんがたどり着いた結論は、社会を構成する要素や、異なる社会における脈絡というものだった。「社会から独立して存在するというのはあり得ない。自身を個体だと思ったらそれは誤りで、必ず社会や他人の影響を受けるんだ」

▽生まれ故郷、香港へ 全く違った景色

柳さん一家は中国を1年足らずで離れ、香港に移った。すでに中国に返還されていた香港は、中国と大差ない環境だと思っていた柳さん。中国に対する印象が非常に悪かったため、おびえていたという。

だが、そのイメージは大きく覆された。授業では教師が民族の平等や多様な人種の尊重を説いていた。最も印象に残ったのは、言論の自由を尊重することの大切さを教えていたことだった。公民教育が非常に重んじられていたという。「香港は多元的な社会なんだと感じた。もういじめられることを恐れなくていいし、自分の意見を言ってもいいんだと思った」

▽追い続けた夢 鉛筆を手に台湾へ

中国でも香港でも、漫画家になりたいという夢は消えなかった。アニメ・漫画大国である日本で積み重なった憧れは、中国や香港で過ごした日々の支えになった。ただ、両親は日本を離れると、夢を応援してくれなくなったという。

香港に移り住むと、勉強で努力するよう求められ、漫画家の夢は非現実的だと諭された。両親の期待に応えようと、香港でトップクラスの大学に合格した柳さん。その一方で自身の夢も諦めず、芸術を専攻に選び、絵を描き続けた。

両親が漫画では生活できないのではと心配していたのは分かっていた。大学で学びながら個人で案件を引き受け、創作活動を地道に続けた。漫画の新人賞にも応募し、準優勝に輝くと両親を安心させられた。そして、卒業と同時に、プロとして活動するようになった。

2017年には、フランスで開かれる欧州最大級の漫画の祭典「アングレーム国際漫画祭」に参加。そこで、日本以外のさまざまな国から出品された大量の作品に触れた柳さん。「情報で脳が大爆発した」。大きな刺激を受けたという。

香港に戻ってから、フランスで購入した作品をじっくり読み、消化していった。独自の創作スタイルを築く重要さを感じ、日本の漫画に学んだ画風から脱却しようとゼロからの模索を始めた。さまざまな画材を試し、たどり着いたのが鉛筆だった。

だが、香港では漫画市場が徐々に衰退。出版社も次々と廃業に追い込まれていった。環境を変えようと思った時、台湾が最初に頭に浮かんだ。「さまざまなタイプの漫画家が出てきているのを見ていたし、彼らは作品を世に出し続けることができている。台湾の漫画産業も厳しいことは分かっているけど、出版社がまだある。希望があるじゃないか」。そう思った柳さんは、鉛筆を手に少しずつ貯金し、台湾移住のイメージを膨らませていった。

▽創作こそが力 消えゆく香港を描き残したい

そんな時だった。香港の自由がこんなにも早く奪われるとは。中国が約束した、高度な自治に基づく一国二制度の「50年不変」はあっけなくほごにされた。大規模な反中デモが香港で広がり、柳さんは台湾への移住を先送りすることを決めた。香港には少しでも多くの若者の力が必要だと感じたからだった。

デモに参加するため、街に繰り出した柳さん。ただ、他の芸術家のように、創作活動を通じて抗議の声を上げるのには迷いがあった。家族や顧客に迷惑をかけてしまうと懸念する一方で、アーティストとしてやるべきことがあるとも感じていた。

1人の女性が警察との衝突で目を負傷した事件が起き、柳さんの考えは変わった。思い出されたのは、中国で目にした出来事だった。街で犬が殴り殺されるのを見たといい、「信じられないことが起きてしまった。世界観が全て崩れていく感じだった」。目から血を流す女性の姿がそれと重なって、耐えられなくなった。

柳さんの作品集「被消失的香港(仮訳:消された香港)」に収録された絵。この絵を機に、創作の力で抗議の声を上げるようになった。(蓋亜文化提供)
柳さんの作品集「被消失的香港(仮訳:消された香港)」に収録された絵。この絵を機に、創作の力で抗議の声を上げるようになった。(蓋亜文化提供)

女性の姿と共に、警察に立ち向かう市民たちを描いた柳さん。フェイスブックの本名のアカウントで公開した。偽名や匿名では発信のパワーが弱まってしまうと思った。俳優のチャップマン・トウ(杜汶澤)さんらが声を上げたことも柳さんを勇気付けた。

だが、反体制的な言動を取り締まる香港国家安全維持法が成立すると、絵で声を上げる人は一気に減ったという。「それでも描かなければならない。私さえ描かなくなったら、描こうという人はもっと少なくなる」

柳さんが残した作品は2020年、本にまとめられ、台湾で優先的に出版された。タイトルは「消された香港(仮訳)」。そして2021年、柳さんは台湾に渡った。

▽私たちさえいれば「家」はなくならない

新たに「家」を作ることは、さまざまな場所で暮らしてきた柳さんにとって難しいことではなかった。家というのは独立した空間で、プライベートな空間であれば良いと考える柳さん。「どこかに必ず根付いてなければならないということはないと思うんです」

台湾に初めて来たはずなのに、なぜか懐かしさを覚えた。町並みが幼少期を過ごした京都に似ていると感じたという。林立する建物に香港のような窮屈さはなく、看板には見慣れた文字が並ぶ。全てがちょうど良かった。

台北の街と柳さん(攝影:裴禛)
台北の街と柳さん(攝影:裴禛)

そして最も重要なのは、人々の寛容さだ。居酒屋に居合わせた人と話していた際、香港人が嫌いだと面と向かって言われたが、話しているうちに打ち解けた。「話すことで偏見を取り払うことができる。台湾人の包容力は本当にすごい」

香港から日本、そして中国へ。中国から香港に戻り、今度は台湾へ。まるで水面に浮かぶコウキクサのように、さまざまな地を漂ってきた。だが、自らのアイデンティティーを確立させた柳さん。どこへ行こうと、気ままで自然体だ。どのような世界になったとしても、自由に漂いながら絵を描き続けるのだろう。

(王宝児/編集:楊千慧)

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※本記事は中央社の隔週連載「文化+」の「在林森北路遇見京都童年 柳広成画筆叙説香港情」を翻訳編集したものです。

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