(ソウル中央社)北朝鮮から中国に脱出しながら、4度強制送還に遭った崔民京さんが中央社のインタビューに応じた。崔さんは、北朝鮮に連れ戻された人は虐待を受けるなどとして、国際社会は問題をより重視してほしいと訴えている。
▽「苦難の行軍」をきっかけに脱北を決意
北朝鮮で特権階級の家庭に暮らしていた崔さん。両親は指導者に忠誠を尽くしていた。だが深刻な食糧難で多数の餓死者を出した1990年代後半の「苦難の行軍」で配給が途絶え、両親が当時全国的に流行したパラチフスに相次いで感染。これが脱北のきっかけとなった。「当時3年連続配給がなく、捨てられた遺体が至る所にあった」とし、パラチフスが流行してからは状況がさらに悪化したと惨状を振り返る。
程なくして崔さんの父親が亡くなると、母親と共に中国にいる親戚の下へ逃げようと決めた。97年、崔さんの初めての脱北はこの時だ。当時は脱北者の取り締まりは厳しくなく、崔さんは現地の朝鮮族の男性と結婚して娘が生まれると、現地の役所で必要な手続きも行った。
だが98~99年に脱北者の数が爆発的に増えると、北朝鮮政府は中国に対して脱北者を強制送還するよう協力を要請。高額の報奨金がかけられ、親戚に密告された崔さんは2000年、最初の強制送還に遭った。
幸いなことに、この時は北朝鮮の元の居住地に戻されただけだったため、崔さんは同年再度脱北。しかしやはり密告されて再び北朝鮮に連れ戻された。その後も脱北と強制送還を繰り返し、08年に4度目の強制送還に遭うと、翌年には刑務所の「12号教化所」に収容された。
▽「地獄だった」教化所
収容直後は全裸にされた上で検査を受け、もし妊娠が発覚した場合は、腹部を蹴られて流産させられた。泣いた子供が踏まれて死ぬこともあり、さまざまな虐待や性暴力が行われていたと崔さん。「本当の地獄だった」。自身も強制労働や虐待で意識を失い、遺体を仮安置する倉庫で目を覚ましたことがある。10年に恩赦を受けて釈放された際、体重は本来の57キロから27キロまで減っていた。
12年に5度目の脱北を果たし、同年韓国に脱出した。中国や北朝鮮政府が否定し続けている事実をきちんと歴史に残したいと思ったからだ。
崔さんは、韓国に行ったことのある人やキリスト教信者は政治犯と見なされ、北朝鮮政府はこれらの人に対して人体実験を行っていたと指摘。「わたしたちは生きるために命を懸けて脱出してきた。彼ら(北朝鮮)は独裁政権を維持するだけのために命を足蹴にしている」と批判する。
また中国は国連の「難民条約」や「拷問等禁止条約」などを批准しているが、脱北者の強制送還をやめていないなどとし「中国に国連安全保障理事会の常任理事国の資格はない」と主張。国連などの国際機関が中国に対して北朝鮮の人権問題についての態度を明確にするよう働きかけてほしいと訴えた。
崔さんは「中国政府はわたしたち(脱北者)を不法入国者として扱い、強制送還後に虐待を受けたことを示す証拠がないとしているが、わたしたちこそが生きる証拠だ」と語気を強めた。