(台北中央社)日本統治時代に台北鉄道工場(後の台北機廠)の移転を監督した速水和彦技師の胸像が、北部・桃園市の富岡機廠から再び、台北機廠(台北市信義区)に戻された。26日に除幕式が行われ、関係者らが胸像の“帰宅”を祝った。
台北鉄道工場は1935(昭和10)年に開所。台鉄によれば、速水技師は当時、別の場所にあった旧工場から現在地への移転を監督した。台北機廠は戦後も台湾鉄路(台鉄)の工場として引き続き使用されていたが、台湾高速鉄道(高鉄)の延伸工事に伴い、2014年までに工場としての機能が順次、富岡機廠に移転された。15年には国定古蹟に指定され、現在は国家鉄道博物館としての正式オープンに向けて整備が進められている。
胸像は工場の開所後、総督府鉄道部が速水技師の貢献や功績を記念するために制作。戦後は工場内の資料室に保管されていたが、工場の移転に伴い、14年10月に他の歴史的資料などと共に富岡機廠に移されていた。
除幕式は同工場が30日で開所89周年を迎えるのを前に行われた。台鉄は、銅像を台北機廠に移すことで地域との結びつきを促進できるだけでなく、その歴史的文脈の重要性を浮き彫りにするものだとしている。