容赦なく雨が降り注ぐ夜、台湾で初めて米グラミー賞を手にしたデザイナーの李政瀚さんと于薇さんは、疲れた体を引きずりながら、中部・台中市南屯の一角にある印刷倉庫にやって来た。
今年4月、2人は世界の音楽人が憧れるグラミー賞で「最優秀アルバムパッケージ賞」を受賞した。受賞作品は、台湾原住民(先住民)アミ族の古調歌唱グループ「第二代馬蘭吟唱隊」とロックバンド「チェアマン」(董事長楽団)によるアルバム「Pakelang 八歌浪」。受賞から1カ月余りがたっても、初応募にして栄光を手にした2人の下には取材依頼が次々と舞い込んでいた。倉庫内で唯一明かりが灯っているオフィスに2人が腰を落ち着けた頃にはすでに夜8時になっていた。
この倉庫は、李さんの仕事場だ。正確に言うと、作業場所は1台のデスクのみだ。
李さんは、近年自分はこの倉庫に「寄生」しているのだと冗談交じりに話す。デスクトップ型のウィンドウズPCを頼りに、新鋭デザイナーの于さんと協力して「Pakelang」のパッケージデザインを作り上げた。
※本記事は中央社の隔週連載「文化+」の「美的東西會被淘汰但故事不會 李政瀚、于薇的後葛萊美時代」(2022年6月5日掲載)を翻訳したものです(本文中の年齢はインタビュー当時)。
▽ 始まりは自身のバンドのアルバムパッケージ
「なぜMacを使っていないのか聞いてほしいとずっと期待しているのですが、答えは簡単です。高過ぎるからです」。李さんの率直な告白に、言葉少なに隣に座る于さんは軽やかに笑う。
デザイン関連学科卒の2人にとって、CDのデザイン制作は実は主な仕事ではない。
35歳の李さんは台中で開業し、コマーシャルデザインを引き受けてきた。青春時代は高校の仲間と組んだヘビーメタルバンドに大半の時間を費やし、ギターを背負って熱い雄叫びを上げていた。CDのパッケージデザインの仕事は、8年前に自身のバンドのファーストアルバムを手掛けたのが最初だった。「自分でアルバムを作り、パッケージも自分で作ってこそかっこいいでしょ?」と李さん。
アルバムのパッケージ制作に取り組む際に出会ったのが、師匠である何泰億さんだ。教えてもらっているうちに、アイデアを組み立てる前にはいつも何さんに教えを乞うようになった。すると何さんから、パソコンを印刷工場に運んで来るよう言われた。「こうして印刷工場に寄生するようになるとは思ってもいませんでした」(李さん)。だがこれによって、アルバムの材質や立体造形で遊ぶ機会を得られるようになった。李さんが手掛けたアルバムのパッケージは2019年から2年連続で米インディペンデント・ミュージック・アワードの最優秀パッケージデザイン賞に輝いた。李さんの作品は多くはないが、どれも優れたものに仕上がっている。
▽ スターの追っかけからCDデザインの道へ
于さんは李さんより一回り年下の23歳。日中はコマーシャルデザインの会社に勤務し、夜は副職として個人でデザインの仕事を請け負っている。李さんと違うのは、音楽には一切の才能がないことだ。だが、かつてスターの追っかけをしていた于さんは、韓国アイドルのアルバムを手にした時の感動が忘れられず、子供の頃から音楽関係の仕事に憧れを抱いていた。
大学生の頃、バンドをやっている先輩がCDのジャケットデザインを募集しているのを目にし、自分から名乗りを上げた。初めて手掛けたアルバムが完成すると、友人の口コミによって音楽デザインの分野に足を踏み入れることに成功した。今抱えている仕事はどれも音楽に関係するものだ。于さんは少女のように「目標達成!」と小声で喜ぶ。だが、グラミー賞受賞は「ちょっと目標を上回り過ぎました」とわずかな不安を瞳の奥にのぞかせた。
李さんと于さんが知り合ったきっかけは、とてもほほ笑ましいものだ。于さんが大学2年の頃、当時の交際相手が住む台中でインターンの機会を探し求めていたところ、李さんの下で2カ月間仕事をすることになった。このエピソードに李さんは「俺の才能に引かれたのかと思ってたのに」と思わずため息をつき、于さんを笑わせた。
于さんはインターンに来る前からCDデザインの経験が豊富で、デザインソフトの操作や素材の運用に詳しかったと明かす李さんは「台湾の若手デザイナーの力はまさに爆発中です」と断言する。2人は師匠と弟子と言うより、互いに学び合うパートナーに近いと李さんは話す。互いに教え合うことで、CDデザインのさらなる可能性を探っている。
▽ 美しいものは淘汰されても物語は残り続ける
グラミー賞を受賞したアルバムのタイトル「Pakelang」とは、アミ族語で、豊作または仕事が一段落した後に行われる祭りを意味する。アルバムでは、アミ族の古調にロックやレゲエの要素を融合させた。
李さんは、以前は先住民の文化についてあまり知らなかったと告白する。デザインに取り掛かるに当たり、「馬蘭吟唱隊」の拠点である東部・台東を訪れ、古調のメロディーにある山や海を目にした。同時に、先住民の伝説や吟唱隊の歴史に関する資料を大量に読み込んだ。その過程で、第二代馬蘭吟唱隊団長の蒋進興さんが、第1代団長でアミ族の国宝級歌手である父親の郭英男さんから受け継いだ精神を知り、それが今回のアルバムデザインの主なヒントになった。李さんはあえてジャケットにデザインした郭さんの横顔の輪郭の後ろに3人以上の人の顔を重ねた。「なぜかと言うと、『3』こそが多数だからです。吟唱隊を受け継いでいるアミ族の人々を象徴しています」
最終的には、李さんがアイデアとパッケージの構造を、于さんが内側のビジュアルデザインをそれぞれ担当した。2人は等高線の形状に紙を重ね、山や海のほか、顔を上げて多様な文化と勇気を歌う人の顔を描き出した。
于さんにアイデアはどのように湧いてきたのか尋ねると、スマホを見つめながら忙しなく仕事のメッセージに返信していた于さんは少し固まり、仕事事情を打ち明けてくれた。
最近、于さんは2枚のアルバムデザインの仕事を抱えており、1日の仕事時間は連日14時間を超える。どんなに健康な肝臓でも「もうすぐ壊れそうです」と于さんは苦笑する。そんな于さんのアイデアをかき立てているのは、時間的なプレッシャーだ。「4時間後に提出しないといけないという状況では、何かをひねり出さないわけにはいきません」。李さんはまさに「ポテンシャルの開発」だと面白おかしく形容する。
だが李さんはこうも言う。これも普段の生活の中で何かを感じる力や観察力を反映しているのだと。例えば「Pakelang」のパッケージは青色のプラスチックで海の雰囲気を演出しているが、これはある時、写真共有サービス「ピンタレスト」で見掛けた青色の液体でできた透明な机や椅子がヒントになった。それから、実地調査した先住民族の人々や土地、海の要素、そして自身が少し前にはまっていた飛び出す絵本を融合させた。
「デザインとは、見たもの、聞いたことを内在化した結果なのです。言い換えると『今のジョークは新しいジョークではなく、数百年前にもあったかもしれない。ただ表現方法が違うだけ』ということです。今は全くのオリジナルというものは少なく、創作物は何らかのデザインを背景に、個人の内在化を経て新たな姿になったものかもしれません」。きちんと暮らすことが重要なのだと李さんは強調する。
今後のジャケットデザインについて、美的感覚は主観的なもので、好みも人それぞれではあるものの、物語は取って代わられることはないと話す李さん。「特殊効果を用いた映画がますます見応えのあるものになっていても、往年の名作が忘れ去られないのと同じです。繰り返し見たい映画はどれも、物語が感動を呼ぶのです」。美しいものは淘汰されても、アイデアとその内面に込められた意味は残り続けていくのだ。
▽ 今後もデザインに没頭し、創作活動を楽しんでいく
グラミー賞を受賞して以降、生活に何か変化はあったのだろうか。
「有名デザイナーの待遇を楽しんでいます」。李さんはワハハと笑う。受賞してしばらくは毎日電話が鳴り止まず、取材の申し込みも数十件に上った。やや内向的な于さんでさえ、自分の話をきちんとできるようにまで訓練された。こんなにたくさん話している于さんを見るのは、出会ってからのこの数年で初めてだと李さんは言う。
「これまではずっと裏方で自分の仕事をしていたので、話す機会がなかったのです。1週間誰とも交流しないこともありました」。于さんは目を細めてほほ笑む。そして生気を失わないようにするため、仕事中は人気ポッドキャスト番組「台湾通勤第一品牌」を聞いて人の声を感じ、一緒に笑っていたと明かす。李さんも人気ユーチューバー、館長さんのライブ配信をBGM代わりに流しているという。「誰か話し掛けてくれる人が必要なんです。内容はどうでもいいのです」
受賞後、デザインのオファーは増えたが、CDデザインを主な収入源にすることはできないと2人は打ち明ける。なぜなら、音楽への愛が強過ぎて、自分のアイデアを完全に表現するためにいつも自腹を切ってしまうからだ。
アルバムの仕事を引き受ける時は、赤字になる覚悟ができているのだと李さんは語る。「作り上げたいという気持ちが何よりも大きいからです。于薇も同じです」。于さんはうなずき、「これまでに手掛けたほぼ全てのアルバムに自分の貯金をいくらかつぎ込んでいます」と続けた。
そのうちの一例はバンド「Theseus」(忒修斯)のシングル「如果我們都是繁星」のグッズだ。これは于さんがインターン時に手掛けた。当初は音楽にアクセスできるQRコードを印刷したカードを制作するだけだったのが、李さんから勧められた飛び出す絵本のデザインを見た後、インスピレーションが湧き上がり、カードをランプの形にするアイデアを思い付いた。スマートフォンのライトを中に入れて照らすと、空間が満天の夜空のようになるというデザインで、楽曲の世界観とも重なった。
李さんはバンドから追加料金を取るよう于さんに伝えたものの、自分も同じようなことをしていると気付き、止められないと思ったと振り返る。「どうせそんなに変わらないのです。その後は自腹が増えていくだけですから」。「Pakelang」の生産コストの高さは、売れれば売れるほど赤字が増えていくほどだといい、2人は目を合わせて苦笑する。どうすればいいのか。アルバムデザインを請け負える余裕を持てるよう、頑張って他の仕事で稼ぐほかない。
「コマーシャルデザインは顧客の目的を優先する一方で、アルバムデザインは創作の要素が大きく、この創作の過程が好きなのです」。李さんは肩をすくめる。
グラミー賞は2人のデザイナーとしてのキャリアにおいては一つの輝かしい頂点でしかない。台湾の音楽産業への愛と熱意を抱き、これからもデザインを通じて世界に台湾の存在感を示していくことだろう。