(台北 12日 中央社)盛夏を思わせる太陽が照りつける5月のある日、日本軍人を神として祭っていることで知られる台南市安南区の飛虎将軍廟を訪れた。台南市の中心部から友人が運転するスクーターに跨り約20分。幹線道路から脇にそれた住宅街の中にたたずむ廟は、一見すると台湾各地にみられるものと変わりはないが、一礼して中に入ると目に飛び込んできたのは、中華民国国旗に並んで掲げられた日の丸だった。
第2次世界大戦中の1944年、海軍航空隊の杉浦茂峰少尉(当時は兵曹長)は、台湾南部が空襲を受けたため零戦に乗り出撃。米軍機との交戦の末撃墜されるも、必死に操縦かんを握り締め、人家の密集する集落を避けて畑や養殖池のある場所へ墜落したとされる。幸い地元住民への被害はなかったが、落下傘での脱出を試みた杉浦少尉は、その後死亡が確認された。 廟は墜落現場の南側にある。地元住民が1971年に建立した。神像は海軍の帽子を被る。朝と夕方には「君が代」と「海行かば」が流され、杉浦少尉が好きだったとされるタバコが手向けられる。普段の台湾の暮らしでは感じられない不思議な雰囲気が漂うが、近隣の人と思われる参拝客がひっきりなしに訪れるのをみると、それだけ地域に溶け込み、親しまれているのが分かる。 建立当初は日本文化に対する厳しい弾圧があり、日本軍人を祭ることに市が不快感を示したものの、地元住民の努力で守り続けてきたと語るのは、同廟顧問の郭秋燕さん。今この廟を守るのは日本統治時代を経験していない人ばかりだが、「杉浦少尉の精神を伝えたいだけで、日本とか台湾とか関係ない」と笑う。 物語は地元の安慶小学校でも課外活動の一環として語り継がれている。顛末を分かりやすく解説した漫画も教職員らの手作りだ。最近では日本から訪問する人も多くなり、記帳ノートには日本人の名前が連なる。杉浦少尉の出身地である茨城県水戸市の関係者も関心を示し、今年9月には神像が里帰りを果たすことも決まった。ただ、台湾の廟ではたくさんの神像が合祀されることもある中、ここに祭られているのは、特異な建立の経緯もあり杉浦少尉ただ一人。廟を守り、語り継ぐ人がいなければ、ここに誰が祭られ、どんな歴史があったのか知る人がいなくなってしまう。地元の人の努力に感謝するとともに、報道に携わる者として、一人の日本人として伝え続けなければいけないと痛感し、再訪を誓った。
(齊藤啓介)