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台湾あれこれ/戦時中に日本で戦闘機を製造した元台湾少年工 戦後も台日交流に尽力 80年続く絆

2025/08/15 18:01
「台湾高座友の会」の何敏豪会長=2025年8月15日、中央社記者翁睿坤撮影
「台湾高座友の会」の何敏豪会長=2025年8月15日、中央社記者翁睿坤撮影

今年は戦後80年に当たる。台湾は当時、日本の植民地だったため、多くの台湾の人々がさまざまな理由で従軍した。南洋に出征したり部隊でいろいろな仕事をしたりした。終戦後、これらの人たちは交流団体を作り、日本側と連絡を取り合ってきた。その一つに台湾高座台日交流協会(台湾高座会)がある。

台湾高座会は台湾の元少年工らの同窓組織。第2次世界大戦末期、約8400人の台湾の若者が日本に渡り、神奈川県にあった「高座海軍工廠」で訓練を受けたのち、各地で戦闘機の生産に携わった。毎朝、列に並んで工廠に向かう少年たちはスズメ部隊と呼ばれ、終戦までに128機の雷電戦闘機を製造した。

戦後、台湾に戻ってからも日本側との交流を続け、戒厳令が解除された1987年に「台湾高座台日交流協会」を結成した。だが、時間とともに、元少年工たちも年を取って、交流会への参加者数も減る一方だ。

メンバーの高齢化を受け、その子孫を中心とする「台湾高座友の会」(台湾高座之友会)が2019年に正式に発足した。会長は何敏豪元立法委員(国会議員)。何氏は、元少年工の平均年齢は95歳以上だと指摘。交流会の参加者数は初回の2000人余りから今年は4、5人になるだろうと述べた。

何氏は台湾人は政治的立場の違いによって、台湾で起きたことを忘れてはならないことにも言及。今後も定期的に交流を続け、また2代目としてより多くの分野で双方の民間交流を推進していくとの考えを示した。

台湾高座友の会が主催した今年の交流会は2日、中部・台中市のホテルで開かれた。90歳を超えた元少年工の何春樹さん、東俊賢さん、廖受章さんらが出席した。日本の対台湾窓口機関、日本台湾交流協会台北事務所の片山和之代表(大使に相当)も招きを受けて参加した。

(頼于榛/編集:荘麗玲)

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「台湾高座友の会」主催した交流会の様子=何敏豪さん提供
「台湾高座友の会」主催した交流会の様子=何敏豪さん提供
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