金門には可愛らしいものや美しい建物、景色がたくさんある。そこで、写真撮影にぴったりなスポット6選を紹介する。
(1)シーサー「風獅爺」
金門の“可愛い”の代表格といえば、守り神のシーサー(風獅爺)。シーサーと聞くと沖縄を思い浮かべる人も多いと思うが、金門でも同様にシーサーは守り神として大切にされている。
金門のシーサーは名前に「風」と付くように、主に風除けの意味を持つ。これは、金門には秋から冬にかけて北東の季節風が強く吹き付け、風害に見舞われることと関係すると考えられる。沖縄のシーサーには風除けの意味はなく、単純に魔除けを主としている点が金門のシーサーとの違いだ。
また、金門の場合、シーサーの体勢は立ち姿としゃがんだ姿勢の両方があり、大きさは高さ約4メートルから約30センチまでと様々。擬人化されているものも多く、怖い表情をしているシーサーもあれば可愛らしいものもありバリエーションに富む。像は対ではなく、単体で設置されることが多い。
空港に隣接する「尚義環保公園」には、48カ所の村落に元々設置されていたシーサー64体が集結。個性豊かなシーサーを一挙に楽しむことができる。面白いのは陳列方法。展示エリアは金門の島の形を模しており、当初シーサーが設置されていた地図上の位置に当てはめて並べられているのだ。そのため、展示エリアを一周するだけで、金門のシーサー巡りをしたような気分になれる。シーサー好きにはたまらないスポットだろう。
(2)「金門」の電話ボックス
金門のもう一つの可愛らしい名物は、「金門」の文字をデザインした電話ボックス。斜めの屋根や赤レンガなど伝統的なビン南式建築の要素が取り入れられ、金門の情緒たっぷり。(ビン=門構えに虫)
(3)得月楼・黄輝煌洋楼
建築物といえば、洋館も見逃せない。金門は中国大陸・アモイや泉州港に近いという地理的位置から、特に1860年代以降、東南アジアへの移民が多く行われてきた。海外に渡った金門の人々にとって、故郷で家を建てることは富を見せつける格好の手段。そこで故郷に家を建てる際、移り住んだ土地で目にした洋式建築のスタイルを取り入れた洋館が建設されるようになったという。
金門島西部の水頭集落にある「得月楼・黄輝煌洋楼」は1931年、インドネシアで富を築いた黄輝煌が現在の紙幣価値で1200万台湾元(約4400万円)を費やして建設した洋館。2003年に県の歴史建築に登録されている。
得月楼は淡いピンクの外観でメルヘンチック。内部の細かいデザインが凝らされており、異国情緒たっぷり。
(4)陳景蘭洋楼
海が一望できる高台に建つ「陳景蘭洋楼」は金門に現存する最大の洋館。レンガと漆喰(しっくい)を組み合わせた壁およびアーチ型の外廊下により、優雅な雰囲気が醸し出されている。インドネシアとシンガポールで商売を成功させた陳景蘭の出資で建てられ、1921年に完成した洋館で、落成後しばらくは建物の一部が小学校として使われた。授業料は無料だったという。
日中戦争勃発により金門が日本に占領された1937年10月から1945年の終戦までの期間は、日本軍により指揮所や病院として強制的に使用されていた。その後、中国大陸の砲撃や台風被害などによって損傷を受けたものの、2005年から2008年の3年にわたり政府によって修繕工事が行われ、美しい姿が蘇った。
(5)海辺から眺める夕日
金門島北西部にある「慈湖」のそばに建つ「三角堡」の近くの海辺は絶好の夕日観賞スポット。上陸防御用の砦が残る海辺を夕日が照らす風景は金門ならではと言えるだろう。
(6)干潮時だけ陸地とつながる「建功嶼」
金門島西側の「建功嶼」も特徴ある自然景観の一つ。この場所は干潮時には陸続きになっているが、満潮時には歩道が消失し、孤立した島となる。記者が訪れたのはちょうど潮が満ちてくる頃で、陸と建功嶼をつなぐ歩道に立ち止まっているとみるみるうちに先の歩道が海水で見えなくなっていった。約30分後に近くの高台から建功嶼を眺めると完全な孤島に。自然の力が感じられた。
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以上、3回に分けて金門を紹介してきた。金門は戦地としての歴史にフォーカスが当てられがちだが、実際に足を運んでみると、戦地遺跡以外にもグルメや建築物、風景など、金門にしかない魅力的な観光資源が多く存在することに気が付いた。台北からだと飛行機で約1時間。台湾本島とはまた異なる雰囲気を味わってみてはいかがだろうか。
(名切千絵)