(台北中央社)第2次世界大戦終結80周年を記念した特別講義の第1回が7日、台北市の国史館で開かれた。国民党政権の領土に関する訴えや戦後の変局をテーマとし、専門家は、台湾や米国の立場から台湾地位未定論の形成や現在まで続く理由などに対する自身の見解を示した。
中興大学(中部・台中市)歴史学科の李君山教授は、米国は戦後、台湾を「あるじのいない島」と見なしていたと説明。その上で、1950年の朝鮮戦争勃発後に第7艦隊を台湾海峡に派遣したことは、表向きは中華民国の防衛に協力するためだったが、実際には自衛のための行動であり、後方支援ルートの確保が目的だったとの認識を示し、第7艦隊の行動により米国が台湾を仮差し押さえした状態となり、将来的な地位が未定になったとした。
また49年にトルーマン政権が発表した白書で、蒋介石(しょうかいせき)元総統の腐敗や無能を厳しく批判し、関係を見直したことについては、「台湾は守るが蒋介石は守らない」との立場が反映されたと主張。また米国が台湾海峡中立化に向けた準備を進めていることを知った蒋元総統は自身の日記に、公の場では中立化を認めず、主権を失うことも拒否したと記しているとし、この「問題を棚上げして情勢の変化を待つ」対応のために、台湾の地位未定の状態が現在まで続いているとの認識を示した。
李教授は、米国内では台湾に対してさまざまな見方があり、共通認識の形成には至っておらず、いずれも公式な政策であると判断することは難しいと指摘。その一方で国務省や関連機関は米中間の「三つの共同コミュニケ」に基づいて台湾問題に対応しており、米国の公式文書には「台湾地位未定」といった表現は見られなくなっているばかりか、外交政策も利益や視点によって異なる基準があり、台湾の地位に対する立場も曖昧になっていると語った。
講義後に中央社の取材に応じた国史館の陳儀深館長は、「あるじのいない島」との表現について、第7艦隊が来たい時に来られていた状況を指し、中華民国が台湾や澎湖などを実際に統治しているかとは関係がないと説明。また、これは朝鮮戦争後に米国が台湾に対して「地位未定論」の立場を取り続けていることを意味し、米国側では単なる政策ではなく、ほぼ原則になっているとの見方を示した。