今年6月、清朝の役人の格好をした3体のキョンシーの写真がフェイスブックを賑わせた。台南市美術館がフランス・パリのケ・ブランリ美術館と共同開催する特別展「アジアの地獄と幽霊」の開幕前のPRとして投稿された写真だ。10万を超える「いいね」が付いたこの投稿をきっかけに、同展は大きな注目を浴び、初日には美術館に長蛇の列ができた。
人々は流行に乗ってキョンシーを追い求めたが、キョンシーだけに注目するのはもしかしたら少しもったいないかもしれない。
※本記事は中央社の隔週連載「文化+」の「你不是怕鬼而是怕別的 南美館「地獄幽魂展」的真心話大冒險」を編集翻訳したものです。
この特別展の基になっているのは、ケ・ブランリ美術館が2018年に開催した展覧会だ。アジア・アフリカの人類学に関する豊富な所蔵品を基礎として、アジアにおける未知の世界への恐怖と想像を紹介した。
興味深いのは、キュレーターのジュリアン・ルソー氏がこの展覧会を企画するきっかけになったのは「アジアのホラー映画に対する敬意」という点だ。そのため、この展覧会にはタイ映画「ナンナーク」や日本の「リング」「呪怨」、香港の「霊幻道士」など多数の映画ポスターや映像が使われている。どれも台湾人になじみ深い作品だ。
フランス発のこの展覧会の海外最初の開催地に台湾が選ばれたのを受け、台南市美術館はフランス側の展覧会の背景に対応させる形で台湾文化の要素を加えようと試みた。地獄で審判を行う十王を描いた台湾歴史博物館所蔵の「十殿図地獄掛軸」や台南・学甲慈済宮所蔵の国宝「葉王交趾陶」なども展示し、展覧会に多様性を追加した。
また、台湾の芸術家9人を展示に参加させた他、台湾の妖怪「魔神仔」の漫画化イラストやインスタントカメラで撮影された台湾の寺廟や霊山の風景なども展示品として取り入れ、西洋の視点でアジアの地獄や霊に対する想像を探ると同時に、台湾の視点でローカルな妖怪や地獄に対する見方を紹介した。
展覧会では人々が知っているようで知らない信仰―地獄とは何か、妖怪とはどのように生まれるのかなどーをひも解いている。
会場にはタイの電球のCMが流れる。
1家3人が墓地でピクニックをしていると、臓器がむき出しになった生首の妖怪「ガスー」や痩せ細った餓鬼、女性の幽霊「ナンナーク」が通りかかる。父親はそれぞれの妖怪について息子に淡々と紹介するばかりか、妖怪たちとけんかまでし始めた。だが「光に照らされているから何も怖くない」とのキャッチコピーの後で明るい光が突如として消され、周囲が真っ暗になると、3人は慌てて逃げ出すーという内容だ。
興味深いのは、最後に叫んで逃げるのは人で、妖怪は普段通りにしているという点である。同展の企画に携わった同館の陳菡暘さんは「妖怪は人を攻撃しません。彼らは最初から最後まで何もしておらず、全ては人間自身から生み出された恐怖なのです。それがその後の出来事につながっていきます」と話す。わずか50秒に満たないCMが展覧会の主軸となる「未知への恐怖」を物語っている。
展覧会の準備段階から開幕まで、これらの過程は「未知への恐怖」を証明する大規模な社会実験のようだった。
「実を言えば、キョンシー展がヒットするのは全くの予想外でした」「宣伝には本当に一銭も使っていません」と陳さんと同館広報担当の呉岱芳さんは口々に言う。キョンシーの写真の投稿がバズった日のことを振り返り、今でも驚いた様子だ。
展示品が台湾にまだ届いていなかった6月中旬、週末のSNS運営を代役として担当していた呉さんは、展覧会の予告となる投稿をするよう急きょ言われ、フランス側から提供されていた5枚の写真の中から、台湾の人々にも比較的なじみがありそうなキョンシーの写真を選んだ。そして簡単に「Coming soon」と書いて投稿した。すると旧暦7月の「鬼月」の話題とも相まって、大きな注目を集めた。フェイスブックのリーチ数は普段の1、2万から700万に急増。開幕前からメディアに多く取り上げられた。
その一方で、反発するメッセージやコメント、電話もひっきりなしに寄せられた。「コロナ下で余計な恐怖をあおっている」と非難する声や、「子供が怖がる」との理由で開催中止を要求する声があった他、宗教団体が美術館前で抗議活動を行うなどの出来事もあった。
「私たちは超常現象とは無関係で、キョンシーも展示の重点ではありません。皆さんは展覧会の本当の姿を見たことがなかったのです」。芸術家への配慮とフランス側との契約により、会場の設置作業が完了するまでは美術館は会場の風景を一切公開できなかった。批判に対してやり切れない思いを抱えていたことを呉さんは吐露する。
展覧会の開幕後、多くの人が来場し、会場の写真が広まって展覧会のコンセプトが知られるようになると、非難の声はだんだん薄れていった。「未知」に起因した想像上の恐怖が去っていったのだった。
「死後の世界がどんな姿なのか、なぜ自分がこんなに不運なのか、私たちは知りません。もしかしたら、これらの作品や物語の内容を見れば、合理的な解釈が得られるかもしれません。例えば、幽霊が人間を呪うのは、名誉回復をする必要があったり、ふさわしい供養がなされていなかったりするためです」。普段、目上の人の言い付け通りにお参りをするものの、これらの日常の風習について何か特別に話し合うことはない。フランス人の展覧会の視点を通じ、異なる角度で自分が身を置く文化を見詰め直すことができるのだと陳さんは笑う。
地獄展の開幕初日の6月25日、夏休み期間だったこともあり、来場者数は6800人に上った。強い日差しが降り注ぐ中で大行列ができ、美術館側が「来場を控えて」と呼び掛ける事態となった。オンラインでの事前予約制に切り替えて人数制限を実施した後も、毎日平均で3000人ほどが来場している。
来場者の中には、好奇心や流行に乗って訪れた人も少なくない。館内の決まりをよく知らない人も多く、「会場では毎日、ガラスに顔の油が付いているのを見かけました。顔を近付け過ぎているからです」と呉さんは明かす。
ペットを預けられないか尋ねる人がいたり、写真を近くで撮ろうとして作品が壊されたりすることもあった。「なので私たちは、棒状のものを携行して入場してはいけない、モモの木の剣や自撮り棒もダメ、館内では飲食禁止、もち米をまくのもダメと繰り返し強調してきたのです」。そのため、開館日は毎日「展示品防衛戦」のようで、時に人はお化けよりも怖いと呉さんは漏らす。スタッフは神経を尖らせているという。
しかし、考え方を転換させれば、これも人々を美術館に呼び込み、芸術に触れてもらえる貴重なきっかけでもある。「芸術に正しい答えはありません。美術館も正しい答えを教える場所ではありません。人々に自分で何かを感じてもらい、興味を持った後で、自発的により多くの答えと情報を探ってもらうことを期待しています」。陳さんは笑う。
地獄展の出口には、じょうご状に渦を巻いたお香「香環」が4つるされている。家族3代によって受け継がれている台南のお香工場が手作りしたものだ。香環には台湾の芸術家、蔡佳葳さんによってお経が書かれ、人々の幸福を祈っている。まるで、展覧会を見た後にざわついた心を落ち着かせようとしているかのようだ。
香環はもともと仏教や道教でよく見られる祭祀用品だ。輪っかが連なる形状は一家だんらんや円満を象徴し、それを燃やすことで家族の平穏を願う。「香環咒」と名付けられたこの作品は展覧会の閉幕後、灰になり、万物は全て消えていくという仏教の無常観を体現する。
未だ生を知らず、焉くんぞ死を知らん。未だ死を知らず、焉くんぞ生を知らん。生命とは必ず失われるものだ。だが最も怖いのは無知である。優しさを持ち、悪意を持たず、好奇心を保ち続ける。それによって私たちは既知と未知の世界を探索し続けることができる。