空の玄関口、桃園国際空港があることでおなじみの桃園市。台北都市圏に隣接していながら、市面積のおよそ3分の1は山地が占め、豊かな自然に恵まれている。市内には淡水河の支流、大漢渓が流れており、川沿いに暮らす人々は古くから水と共に生活を営み、文化を築いてきた。大漢渓中流に位置する石門ダムは、日本統治時代に作られた灌漑(かんがい)施設が基になっており、当時の名残が垣間見られる。記者は6月下旬、桃園市政府の招きで同地を訪れた。
▽日本統治時代のかんがい施設が基になった石門ダム
石門ダムの基になったのは日本統治時代に作られた灌漑施設、桃園大シュウだ。日本から派遣された水利技師、八田与一らの指導の下で建設された。この地域は四季の雨量の変化が大きく、台風が来れば水害、雨が降らなければ干ばつと、たびたび災害に見舞われていたという。桃園大シュウは1916(大正5)年に着工し、8年の歳月をかけて完成した。戦後、国民党政権が台湾を接収してからより現代的な灌漑施設であるダムの建設が始まり、1964年に完工。貯水量は2億700万立方メートルに及ぶ。(シュウ=土へんに川)
今年は雨が少ない空梅雨傾向が続いたため、ダムの水位は満水時より低く、岩肌が露出していた。しかし、渇水期だからこそ見られる光景にも出会えた。「夢幻草原」と呼ばれるダムの中の草原だ。普段はダムの底に沈んでいるが、水位が下がると、水を吸った肥沃な土壌から草が生えてくるのだという。
▽ダムから生まれた美食文化「活魚」
ダム周辺では「活魚」と書かれたレストランが多く見られる。活魚といっても、すしや刺身のことではなく、ダムで育った淡水魚を煮たり、焼いたりとさまざまな調理法で食する料理全般のことを意味する。
活魚の老舗「磊園」では、別の場所で育った魚をダム付近の池に移し、ダムの水で2~3カ月飼育してから調理するという。店の人は、ダムの上質な水で飼育することで、魚の身が引き締まり、臭みも抜け、より良い味になるのだと話す。
▽日本統治時代の建物が残る大渓老街エリア
石門ダムからほど近い大渓老街付近には日本統治時代の建物が複数残されている。大漢渓沿いにある「大渓木芸生態博物館」は当時の警察官宿舎などを再利用した施設。大渓で盛んな木工産業の紹介などを行っている。
水運の発達により、物資の運搬の拠点となった大渓には繁栄がもたらされた。台湾五大家族に数えられる林家や、米穀の売買で富を築いた李家が大渓に移り住んだことで、この地で商売がより活発に行われるようになったという。また、これらの名家の邸宅や家具を制作する中で木工芸も発達。大渓を代表する伝統工芸に成長した。
▽美しい景色をバックに舞い上がる色とりどりの熱気球
石門ダムでは6月23日から7月1日まで熱気球フェスティバルが開催されていた。今年で開催3年目となる同イベント。ダムと自然が織りなす景色をバックに色とりどりの熱気球が空に舞い上がる景色は壮観だ。
記者が訪れた24日は快晴。朝5時半にもかかわらず、会場にはすでに多くの人が訪れていた。この日、熱気球の搭乗体験に参加することができた。熱気球がゆっくり上昇していくにつれ、地上は次第に遠ざかる。高度が上がるごとに視野が広がり、上空からはダムや周辺一帯の景色が一望できた。
また、今年のイベントでは、全長41メートルの巨大な飛行船が登場。真っ赤な飛行船がゆったりと向こう岸から飛んでくる様子に多くの人々が歓声を上げた。
夜には、熱気球のライトアップショーが開催された。大音量で流れる音楽のリズムに合わせて、ライトとバーナーが広場に一列に並んだ熱気球を明るく照らす。この日は多くの観衆が会場に詰め掛け、刻一刻と色が変わる熱気球にカメラを向けていた。