英作家ジョージ・オーウェルの名著「1984」の台湾語翻訳版がこのほど、原作出版から約75年を経て初めて刊行された。台湾語は主に話し言葉として使われ、中国語書籍と比べると台湾語で書かれた書籍は圧倒的に少ない。翻訳を手掛けた周盈成さんは「もしかしたらこれは最長の台湾語翻訳書になるかもしれない」と話す。
55歳の周さんは生粋の台北人。学校では主に中国語を使い、台湾語を使うのは家族や友人との日常会話のみ。語彙は限られており、台湾語で流ちょうに自分の考えを伝えることはできなかった。台湾語を系統立てて学ぶようになったきっかけは、ジュネーブで海外特派員をした経験にある。
「当時、海外で中国語を話していると、中国人だと思われました。それで自分と台湾の結び付きは何だろうと考えるようになったのです。出てきた答えが台湾語でした。でも台湾語はあまりしゃべれない。内緒話をしたい時には台湾語に切り替えることもありましたが、正確に表現することはできませんでした」
2010年に海外赴任を終えて台湾に戻ると、本格的に台湾語の勉強を始めた。その後、公共テレビ(公視)で、台湾語で世界のニュースを伝える仕事も2年余り務めた。
「1984」の翻訳には2020年から取り掛かり、昨年中頃に完成させた。ページ数は380ページ近く、文字数は約16万字にも及んだ。台湾語版は4月3日に刊行されると、ネット書店「博客来」で新刊小説のトップ10にランクインした。
周さんは海外特派員を務めた他にも、英字メディアや雑誌「ナショナル ジオグラフィック」中国語版で働いた経験もある。また、過去には英中翻訳書2冊と仏中翻訳書1冊を出版したことがあり、翻訳経験は豊富だ。だが、実は翻訳にはそれほど興味はないのだと笑う。今回「1984」を台湾語に翻訳したのは完全に「台湾語正常化」を推進するためだと話す。
台湾語はかつての政治の影響で、「低俗」というレッテルを貼られていた。「台湾語正常化」とは台湾語を「読む、書く、聞く、話す」の全てにおいて普通に使えるようにすることを目指す取り組みだ。
台湾語の書き言葉は漢字とローマ字をミックスさせるのが主流で、すでに統一された方法が定められている。とはいえ、口語の使用が主であり、文章で使う台湾語の語彙はやや少なく、中国語に比べて標準的なルールを作るのは難しい。そのため、原文に忠実に訳すため、語彙データベースを参考にする他にも新たな表現方法を生み出し、翻訳戦略でも柔軟性を持たせた。
例えば、1984の台湾語版では、コーヒーは漢字で「咖啡」とすることもあれば、「ka-pi」とあえてローマ字を採用することもあった(※)。二つの読み方を持つ台湾語の語彙に対しては、状況に応じて漢字を使うか否かを判断した。
※コーヒーの台湾語漢字表記は「咖啡」。「ka-pi」と発音される。
周さんは今回の試みは「外国語作品を台湾語に翻訳することは可能だと証明した」と話す。台湾語母語話者が世界の名著を読む際に、中国語版に限らず、自分に合った選択をできるようするものだと自信を見せた。
▽「1984」で描かれる世界、民主主義国家にも警鐘
「1984」では全体主義国家によって分割統治された近未来世界の恐怖が描かれた。1949年出版の名著だが、米国ではトランプ大統領(1期目)が就任した2017年1月、突如として売り上げが増加し、米アマゾンの書籍売り上げトップとなった。政府権力と真実の操作に対する関心を反映したとみられている。
当時、ホワイトハウス報道官は大統領就任式の出席者数を「過去最高」と説明した。これは明らかな誤りであったが、コンウェイ大統領顧問はこれを「オルタナティブ・ファクト(もう一つの事実)」だと言った。この発言はオーウェルの読者に、「1984」の中で登場した「ニュースピーク」(新英語)を連想させた。同作に登場する全体主義政権は、新たに生み出したニュースピークという言語を利用して人々の思考を制限し、矛盾した二つの信念を受け入れる「二重思考」によって人々の認知を操っていた。読者はトランプ政権の手法がこれと似ていると考えた。
周さんは、「1984」といえば監視が連想されやすいものの、それは全体主義統治の一部に過ぎないと指摘する。実は、全体主義政権がいかにして思想をコントロールし、事実を改ざんするかという描写がもっと恐ろしいと話す。
「オーウェルが書いたように『いわゆる自由とは、2+2=4と言う自由である』。言論の自由とは何でもでたらめに言っていいわけではありません。事実に基づくことが前提にあります」。小説の中では「2+2=4」という数式は、政府が言う「2+2=5」とする事実の受け入れを拒否し、真理を固く守る精神を象徴している。
周さんは、「1984」は民主主義を真っ向から描く小説ではないものの、「気をつけなければ民主主義も全体主義に向かう可能性がある」と読者に警告するものだと話す。
台湾は民主主義国家として、もし「1984」の世界のような状況に陥るリスクがあるとすれば、「それは中国に浸透され、コントロールされ、併呑されることなのです」と周さんは指摘した。