(桃園中央社)日本統治時代に桃園神社として建立され、戦後には国のために殉職した霊が祭られた北部・桃園市の「桃園市忠烈祠・神社文化園区」に昨年、日本の神社から天照大神などの分霊3体が勧請(かんじょう)されたことを巡り、批判が噴出している。桃園市政府や施設運営者は13日、分霊を神社の外に奉遷させたと明らかにした。
桃園神社は1938年に完成。台湾に現存する日本時代の神社としては最も完全な形で残っている。50年には「桃園県忠烈祠」に改称され、抗日戦争や革命で戦死した英霊が祭られた。現在は文化園区として外部に運営を委託し、活性化を図っている。
運営を請け負う民間業者は昨年9月、日本の神社の文化を台湾に持ち込もうと、北海道釧路市の鳥取神社と提携し、大国主大神、天照大神、豊受大神の3体の分霊を勧請。だがこれに対し、抗日戦争の戦没者が祭られる忠烈祠に日本の神を迎え入れるのは不適切だとして市民や学者などから批判の声が上がった。
業者によれば、園区内は忠烈祠の区域と神社文化園区の区域に明確に分かれており、運営を担当しているのは神社文化園区の区域だと説明。昨年9月に日本の神社の文化を持ち込んで以降、休日の来園者数は5000人にまで増加したと明かし、取り組みの成果をアピールした。
業者は神社の外に移された分霊について、日本に戻すための適切な方法を日本側と確認するとした。時期は決まっていないという。
市民政局の担当者は中央社の取材に対し、今後は外部委託に関する規定を見直す他、委託業者と密な意思疎通を図っていく方針を示した。
▽ 民進党市議団が反発「政治的操作で観光発展を妨害」
桃園神社から日本の神が移動させられたのを巡り、与党・民進党の桃園市議団は13日、報道資料を通じ、「桃園神社が保存している歴史、文化資産を無視している」として桃園市政府を批判した。
市議団は、同党の鄭文燦(ていぶんさん)前市長が市政を担っていた際に、忠烈祠と桃園神社を併存させる形で古跡の修復が進められたと言及した上で、昨年末に市長に就任した野党・国民党の張善政(ちょうぜんせい)氏の下で、イデオロギーを理由に桃園市の独特な観光スポットが絞め殺されたと指摘。「政治的操作で地域の特色ある観光発展を妨げることを、市民は好意的に捉えない」と反発した。