(台北中央社)台湾高速鉄道(高鉄、新幹線)の運転台に立つ洪佳君(こうかくん)さんは、異色のキャリアを持っている。かつて航空会社の客室乗務員(キャビンアテンダント、CA)として働いていたが、高鉄に転職し、車掌を経て運転士になった。そこに至る道のりは挑戦の連続だった。
1984年生まれの洪さんは、幼い頃からCAになる夢を抱いていた。大学でフランス語を学び、2005年に台湾の航空会社に入社。念願をかなえた。
華やかなCA生活の裏側には、長時間の夜勤や時差による健康面への負担があった。急なシフト変更で、家族との集まりをキャンセルせざるを得ないことも。長く続いた「心の漂泊感」や将来への不安から、4年間のCAのキャリアに終止符を打った。
09年、開業3年目の高鉄に転職し、車掌としての道を歩み出した。業務の中で運転士が運行中の出来事を語るのをたびたび耳にし、「彼らが話していることは、いったい何なのだろう」との好奇心が湧いた。
運転士への内部登用にチャレンジすることを決めた洪さん。文系出身のため、運転理論や電気関連の科目には特に苦労したという。それでも学習時間を増やし、周囲に教えを請い、最終的に合格率5%の難関を突破した。
高鉄によると、同社の運転士約200人のうち女性は30~40人ほど。洪さんは「初めは無理だと思っていました。女性だし、サービス業出身だから、ずっとサービス業に身を置くものだと決めつけていたからです」と語る。
13年から運転士としての業務が始まった。決して楽ではない仕事だ。事故・故障が起きた時や、多くの人が利用する旧正月の連休などは特に大きなプレッシャーがのしかかる。自身が運転する列車がトラブルで停車すれば、後続列車も止まらざるを得ない。限られた時間の中で素早く点検と復旧を行わなければならず、時間と安全という二つの重圧を同時に背負うことになる。
飛行機のCAから高鉄の車掌、そして運転士へと、一歩ずつ自分の進路を切り開いてきた洪さん。運転台からは、列車を支えるシステム全体の動きだけでなく、絶えず自らの限界を乗り越えてきた自身の姿も見える。