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台北無差別襲撃/容疑者の両親が謝罪 是非巡り物議 心理学者、社会安全網の重要性を指摘/台湾

2025/12/25 11:52
無差別襲撃事件の現場となった台北メトロ台北駅の地下通路で弔いの花を手向ける市民=12月20日
無差別襲撃事件の現場となった台北メトロ台北駅の地下通路で弔いの花を手向ける市民=12月20日

(台北中央社)19日に台北市内の繁華街で発生した無差別襲撃事件で、犯行後に死亡した張文容疑者の両親が23日、報道陣の前に姿を見せ、ひざまずいて謝罪した。これを受け、加害者家族が社会に謝罪する風潮の是非を巡り、議論が巻き起こっている。専門家に見解を聞いた。

事件では3人が死亡、11人がけがをした。張容疑者は犯行後、現場となった商業施設の屋上から飛び降りて死亡した。張容疑者の両親は23日、事件後初めて報道陣の取材に対応し、社会や被害者遺族に謝罪した。これに対し、事件で身をていして犠牲になった余家昶さんの母親は、事件は張容疑者の両親とは無関係だとし、怒りの矛先を両親に向けないよう、社会に呼びかけた。

▽張志尭氏(世新大学社会心理学科主任)

華人社会は社会関係主義であり、個人主義ではない。そのため、「成人は自分で責任を負うべき」との考え方はまだ十分に広まっていない。個人の行為は個人の責任ではなく、社会関係と結び付けられ、成人の過ちであったとしても、両親が前面に立って謝罪することが当然と見なされる。

報道からは、容疑者の両親が公の場で謝罪した理由は明らかではない。子供が重大な過ちを犯したことへの自責の念や、周囲からの非難によるプレッシャーを背景にした可能性が考えられる。結果として、両親は社会の人々の気持ちのはけ口になった。

個人への攻撃は何の役にも立たない。理性的に事件の本質に向き合い、社会的セーフティーネットの構築に尽力し、同様の事件の再発を防ぐべきだ。この世を去った人の責任を残された家族に負わせることのないよう、長期にわたって社会に適応できない人々をどのようにフォローするか、あるいは家族と連絡が取れない場合、誰がこれらの人々を手助けするのかということこそが、見直されるべき方向性だ。

▽葉光輝氏(中央研究院民族学研究所兼任研究員、台湾大学心理学科兼任教師)

現在は多元化社会で、さまざまな意見がある。伝統的な考え方では「子にしつけをしなかったのは父の過ち」とされがちだが、現代では個人の行為の責任は個人で負うべきだと考えられる場合もある。個人の価値判断はそれぞれ異なり、絶対的な正解や不正解があるわけではない。異なる意見に対しても尊重と受容が必要だ。

容疑者の両親が公に謝罪の場に出てきたことについて、被害者家族の慰めになるかどうかにかかわらず、その姿勢自体は評価されるべきだ。「見せかけだけの謝罪」や「責任逃れ」などと非難すべきではない。今回の事件は個人だけの問題ではなく、社会にも一定の責任がある。同様の行為を模倣する人がこれ以上出ないよう、防止策を考える必要がある。

(許秩維/編集:名切千絵)

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