(リビウ中央社)2022年、ウクライナの義勇兵としてロシアとの戦闘に参加していた台湾人男性、曽聖光さんが戦死した。25歳だった。母親の蘇雨柔さんはこの2年余り、苦しみと息子を思う気持ちの中でもがき続けてきた。テレビでロシア・ウクライナ戦争の話題が出るたびに、電源を切っていたという蘇さん。このほど、再びウクライナの地に足を踏み入れた。現地で改めて慰めを見つけ、息子を失った悲しみから徐々に抜け出そうとしている。
曽さんは22年11月2日、ウクライナ東部ルガンスクでのロシアとの戦闘中、頭部を撃ち抜かれ、その場で亡くなった。ロシア・ウクライナ戦争勃発以来、犠牲が判明した初の台湾人義勇兵となった。
蘇さんが現地を訪れるのは、息子の死後に営まれた軍主催の告別式に参加して以来。告別式を終えて台湾に戻って以降は、長期にわたって心的外傷に悩まされた。ウクライナに関する情報は一切受け付けられなかったという。
「たくさんの人から(悲しみを)手放すよう言われました。でも一人の母親として、手放すことができますか」と話し、「私にはできません」と声を詰まらせた。
蘇さんの両腕には、聖光さんの姿を描いたタトゥーが彫られている。「もしかしたら自分に対する優しいごまかしなのかもしれません。聖光がいつもそばに居てくれて、私も息子と毎日一緒にいます。息子が生前、まだウクライナに行っていなかった頃のように」
蘇さんは今回、賞じゅつ金の手続きもあり、ボランティアの招きを受けてウクライナを訪問した。台湾を出発して飛行機やバスを乗り継ぎ、20時間以上かかってようやく、軍人墓地があるウクライナ西部リビウに着いた。リビウ中心部のリチャキフ墓地に到着した際、ウクライナ国旗と軍旗がたなびく光景を目にし、感極まった表情を浮かべた蘇さん。「寄り添っている軍人は皆若くありません。若者はどこに行ったの?若者は目の前の土地に横たわっているのです」と憂いた。
墓地では、同じく戦争で愛する人を失った母親や妻と出会い、互いに抱きしめあった。「私たちは見ず知らずの人ですが、ここではみんな家族です。私たちの子供は皆、この国のために犠牲になったのです」
蘇さんは息子の告別式が行われた教会にも再び足を運んだ。ウクライナのことを極力避けてきた時期から、今では自発的にこの地に戻り、蘇さんの心持ちは少しずつ変化している。ボランティアの付き添いの下、ウクライナ南部ヘルソンから退避してきた高齢夫婦とも面会し、前線での戦闘に参加して負傷した義理の息子の話や、前線の町で物資が不足している現状などを聞いた。
聖光さんの犠牲を知ってなおも、義勇兵として戦地に赴く台湾の青年がいる。蘇さんは「心の中で『行かないで』をいつも叫んでいます」と正直な気持ちを明かす。一方、彼らも聖光さんと同様、必ず勝てるわけではないとは知りつつも後悔のない道を歩むことを決めたのだろうと理解を示し、彼らからは聖光さんがかつて追い求めた正義と燃えたぎる心を見て取れると話した。
「また機会があれば戻ってこようと思います」。ウクライナの民族衣装「ビシバンカ」を身にまとい、リビウでこう話した蘇さん。「聖光はもうウクライナ人です。命にかえてウクライナを守ったのですから。だから彼はウクライナ人なのです」