本記事は中央社の隔週連載「文化+」に掲載された「順益台灣美術館用畫作收藏台灣 點亮北門舊城區」を編集翻訳したものです。
台北駅の西側に位置する国定古跡「北門」付近に6月初旬、台湾画家の作品を収蔵する美術館がオープンした。手掛けるのは、商用車の輸入・販売大手「順益関係企業」。同企業の3代目で、現在董事長(会長)を務める林純姫さんが同社発祥の地であるこの場所を2年余りかけて改修、改築し、美術館として新たな生命を吹き込んだ。収蔵する美術品は父親の林清富さんが1970年代から集めていたコレクションだ。純姫さんが発祥地を美術館に生まれ変わらせたのには、父親が心に秘めていた願いと関係がある。
かつては商業や交通の中心地だった北門。1947年、台北郊外の新店から台北に出てきた商人の林迺翁は、北門付近の延平南路5号に自動車部品の売買を営む「順益行」を設立した。これこそが、後の順益関係企業の始まりだ。
順益企業2代目の林清富さんは物心ついた時からこの順益行で育ち、ここで結婚生活を送り、子育てをした。清富さんの記憶では、70年余り前の北門からは、淡水河や遠くの観音山がはっきり見えた。こんな風景が清富さんの日常だった。
幼少期から両親に愛情をたっぷり注がれて育った清富さん。生後10カ月から、毎年旧暦1月2日には両親に連れられて台湾各地を旅行した。そして最初の目的地は航海の神である媽祖をまつる中部・雲林の北港朝天宮だった。幼少期に家族で南部の嘉義から台南、高雄、墾丁までを巡った経験が、後のコレクションにつながった。清富さんのコレクションの多くは台湾の風景画だ。
清富さんは自伝「漫歩原郷」の中でこう振り返る。「過去を懐かしむ気持ちがあるから、私のコレクションは台湾の風景が中心なのです。それを見ると、まるでタイムトンネルをくぐるように、過去のなじみがある風景の中に戻れるのです」。コレクションが増えていくにつれて、清富さんは台湾の美術史を完全な形で記録する責任があると考えるようになった。
▽観音山や淡水の風景を愛した清富さん
純姫さんによれば、清富さんが集めた台湾の近代画家の作品のうち、題材で最も多いのは観音山や淡水の風景。順益台湾美術館の設立前、同社が運営するもう一つの博物館「順益台湾原住民博物館」では2005年に「恋恋淡水」と題した特別展を開催したことがある。倪蒋懐の「淡水景色」(1936年)から李太元の「紅楼遠眺」(2001年)まで、台湾の3世代の画家が描いた淡水と観音山の作品を展示した。
数百点の台湾画家の作品を収蔵するのは容易なことではない。作品を手に入れるために清富さんは芸術家との間で長い時間をかけて関係を育んでいった。
芸術家の多くは普段は絵を売らないと純姫さんは語る。「でも李石樵さんはお酒が好きで、父はしょっちゅうお酒を携えて、李さんの自宅に絵を見に行っていました」。しばらくすると画家との関係が育ち、自然と絵を清富さんに売ってくれるようになったのだった。その中の一枚「碧潭風光」は清富さんにとって念願の作品だ。なぜなら、父親の迺翁の故郷である新店を題材にしていたからだ。
清富さんのコレクションの中で特に貴重な絵画には、陳進の作品がある。陳進は、絵を学ぶために日本に留学した台湾初の女性画家である。19歳で官展「台湾美術展覧会」(台展)に入選して一躍脚光を浴び、1927年の台展では同時に入選した若手画家の林玉山、郭雪湖とともに「台展三少年」と呼ばれた。そして、観察、写生、時代の動きの反映を主とする台湾画界の画風が切り開かれたのだった。
だが、陳進も李石樵と同様、作品を売りたがらない画家だった。清富さんは当時、陳進の自宅を幾度となく訪れた。陳進は清富さんの誠意に感動させられ、ようやく作品を譲ることを決めたのだった。順益美術館が収蔵する「北港朝天宮」「洞房」「国香」「月下美女—曇花」「仏祖」「素心蘭」の6点はこうして手に入った。
清富さんは自伝でこう振り返る。――陳進の作品は時間をかけてやっと手に入れたものだった。いつも白紙の小切手を持っていき、「彼女が首を縦に振りさえずれば、小切手には自由に書かせていた」。作品を売ってもらえた時はすぐに持ち帰っていた。それは「(陳進が)売らなければよかったと後悔しないように」するためだった。陳進は作品を譲った当日は眠れず、翌日に絵を取り返すために弟子をよこすことがしょっちゅうだった。もちろんいつも取り返せずに終わったーー。
▽「台湾美術史の補助教材に」 清富さんの願い
清富さんが台湾芸術家の絵画や台湾原住民の文物を収集し始めてからすでに40年以上になる。1994年に順益台湾原住民博物館を設立したが、清富さんにはもう一つ願いがあった。それは、台湾芸術家の作品を、系統立てて年代別に収蔵、展示し、いつの日にか台湾美術史の補助教材にできるようにすることだった。
清富さんが長年胸に秘めていたこの願いは、娘の純姫さんによって叶えられた。開館当日、引退後久しぶりに公の場に姿を見せた清富さんは「林家の発祥地であるこの建物が美術館になる日が来るとは思いもしなかった」と笑ってみせた。父親の笑顔を目にし、純姫さんは「この決定は間違いじゃなかった」と安堵の表情を浮かべた。